コタロウによろしく
健治は激務の中でもコタロウを愛した。以前より少なくなったとはいえ、散歩もしたし遠出もした。コタロウも毎晩疲れて帰宅する健治を、足音だけで判断して玄関にダッシュし、いつも変わらず手厚く出迎えてくれた。コタロウと二人の楽しい生活に何ら変わりはなかった。ずっと続くはずだった。
しかし今から一か月前、コタロウが来て二年が経ったとき、健治はまたモノトーンの世界に戻ってしまった。
3.
会社でのことはいいことも悪いことも全然思い出せないのに、コタロウとのことは記憶の淵から湧き出るようにやってきて、そしてあふれ出すように蘇るんだな……。そんなふうに思いながら、ぼんやりと歩を進めていた健治は、山門の階段前に到着して立ち止まる。
勇福寺。その敷地内。毎年九月下旬のお彼岸の時期になるとたくさんの人で賑わう。寺の敷地内には動物の霊園があり、愛猫、愛犬の墓参りをする人が大勢やってくる。
霊園の傍にある小屋では、ボランティア団体や有志の個人による里親募集の会が毎年開催されていた。動物を愛する人たちが、人生の大事な時間を共にし、愛情を注いだ相棒たち、天命をまっとうして天国へと旅立った彼らたちの供養のために毎年訪れる霊園。
その傍で彼岸の時期に里親募集会を開催するのは、不幸な境遇に生まれた動物たちを保護する人たちの意図と合致するのだろう。
その会場の端にある広場の一角に健治は辿り着くと、自嘲気味に一人呟いた。
「ほんとに来ちゃったよ。どうかしてるよな、俺」
昨日、というか今日の午前一時まで会議に出ていたため、肉体的にも精神的にも疲れ切っていた健治だが、帰宅して缶ビールを一本飲み、ボーっとしながら取り上げたタウン誌の端に
「めぐまれない犬・猫たちの里親募集会、明日、明後日の二日間開催。場所は勇福寺敷地内――」
という記事を偶然目にしたのだった。
普段ならそのままゴミ箱に直行させるタウン誌。読んでも素通りしてしまう記事。
愛犬を亡くしたのはわずか一か月前のことで不謹慎とも思ったけれど、それを手にとって読んだことが健治には必然のような気がしていた。そう思って行動することが救いのような気もした。
自分は動物が好きだし、里親となることは一つの命が救われることにもなる。最近は里親になっても動物を虐待する人もいるという。こんなどうしようもない自分だけど、引き取ることで一つの命が幸福な一生を過ごせるなら、それは素晴らしいこと。そういう善行の意味合いもあった。
しかし本当のところ、一週間の疲れと今の自分の疲弊した精神状態を考えたら、朝起きて勇福寺に行くのは難しいとも思っていた。
行けるわけがないから、動物を飼うという大変な準備、覚悟が必要で面倒でもあることを安易に考えているのだと自覚してもいた。健治にとってそれは言い訳でもあり賭けでもあった。起きられたら里親募集の会に行こう。起きられなかったらそのまま寝ていよう。
行くかもしれない。
そう考えるだけで、いいことをした気分になった。
「こういう意識を今でも持っている俺をコタロウは褒めてくれるかな」
でも、予想に反して健治は翌朝早くに起きることができてしまった。ふらふらに疲れていたからやめたってよかったのに、どうしてか重い足を引きずり、勇福寺に向かってしまったのだ。
勇福寺は、健治の家から電車で一時間ほどの、住宅街に位置する大きなお寺。季節によって様々なイベントが開催される有名な寺院で、芸能人が食べ歩きしたり、映画やドラマの舞台になったりもする。敷地内にある動物霊園は手厚い供養、本格的な施設などが有名で、圧倒的な支持を得ていた。
会場には亡き愛猫、愛犬を偲ぶ人たちが想像以上に多く訪れ、お墓参りとは相反するお祭りムードの様な盛り上がりを見せている。
健治はそれを冷ややかな目で見た。自己満足に過ぎないんじゃないか? という思いがあったからだ。
健治は一か月前、愛犬コタロウの亡き骸を自宅の庭に埋めた。
コタロウは庭の山椒の木の根元の匂いがどういうわけか好きだった。散歩の最後にいつも山椒の根元の匂いを嗅ぐ。だから、コタロウが亡くなったとき、「霊園に埋葬」という選択肢は全く浮かばなかった。コタロウが好きだった庭に埋めてやろう。それが、コタロウが一番喜ぶことだからと思ったのだ。
里親探し会場は、実際は霊園の端っこで、お義理で何とか開催を許された感じのこぢんまりしたものだった。プレハブの簡易小屋で、中のスペースはおよそ十畳。小さな小屋の入口に
「里親さん大募集」と書かれた看板がある。どこから情報を仕入れてきたのか、会場には多くの人が集まっていた。
「うわべの動物好きが……。本気で飼う気もないくせに」と健治は冷めた口調の独り言で断罪する。ただ、かわいいと言うのと、一緒に暮らすのとはわけが違うよ、などと思いつつ、小屋をじっと眺めていると、小屋の遠く奥にたくさんの露店のようなものがあるのが見えた。
これも恒例のイベントなのだろうか。昨日の疲れで今すぐにでも横になりたい気分だが、せっかくきたのだから寄ってみよう。
特に目的もなく、テンションも上がらない健治はなすがまま、流れに任せて露店に向かう。
4.
露店スペースには犬猫をあしらったアクセサリーやコースター、籐細工など、店主が自作した小物を売る雑貨店が並んでいた。本当に動物が好きな人が同じく動物が好きな人のために、利益を考えずに自分の趣味で作った作品を譲る。そういう意志で店を出しているように健治には思えた。新たに動物の里親になろうという人が多く訪れる場所柄、きっと、その人たちと心を同じくする人たちが店をやっているのだろう。
健治は一通りの店を見て回った。およそ一列十店、全部で四列ほどの露店が並ぶスペースの、里親会場から見て一番遠い端っこの露店から、さらに少し離れたところに一人の老人がスペースをとっているのが目に入った。
老人は小さな折りたたみ式の椅子に座り、目の前に掲げたキャンバスに絵を描いている。その周りの地べたには、見本なのか、これまで書いた犬猫の絵がいくつか並べられていた。
近くまで寄ってみると、小さな看板が置かれており、そこには「思い出の犬 思い出の猫の似顔絵描きます」と書かれていた。
健治は面白いなと思った。
思い出のってことは亡くなった犬猫限定? だからお彼岸に出してるのかな。
考えると同時に、健治は不思議と躊躇なく老人に話しかけていた。
「死んじゃった犬の絵を描いてくれるんですか?」
集中して目の前のキャンバスに向かって筆を動かしていた老人は、手を止めると、目線だけ健治に向けた。
白い長そでTシャツの上に釣りで使うようなベストを纏い、現場作業員が履くようなダボダボのズボンを穿いている。わずかに残った短い頭髪は白く、七十歳過ぎと思われる老人だが、その眼光は若くてシャープ、そして澄んでいた。
「生きているなら今のそいつを見てやればいいと思うが……。どちらでも構いませんよ。あなたの犬。それだけで十分です。描きますか? 一枚二千円ですが」