「舞台裏の仲間たち」 74~75
深い想いを押し殺しながら、黒光はそれを火にくべます。
立ち昇る煙は、どこまでも澄みきった空を漂よいながら
行方を探して舞い続けます。
情念の写し絵とでもいうべきそれらの紙片を、一枚づつ、丹念に
黒光は、無言で燃やし続けます。
「茜ちゃん・・・・一番の見せ場だよ。
順平くんからの挑戦状みたいに、想像を絶するほどの長い独白だ。
覚悟して読んでくれよ、覚えるだけでも大変だろうけど・・・・」
「いいえ、西口さん。
この長い場面の黒光の独白こそ、
女優冥利に尽きる、順平さんからの素敵なメッセージだと思っています。
もう私は、黒光が大好きで、夢中になってしまいました!」
「おい・・・・時絵と同じ事を言っているぜ。
どうなっているんだ」
「もう彼女は舞台上で、たった一人でスポットライトを浴びているの。
アドレナリンが出てきた女優は、もう誰にも止められないわ。
あの子にも、ずっと前から実は名優の資質が有ったのよ。
今まで誰も気がつかなかっただけのことで、もうすっかり
立派な舞台女優のひとりだわ。
見てよ、あの顔、輝いているもの・・・・」
時絵が呟いたとおり、中央で本読みをする茜は
もう余裕さえ感じさせるほど、見事に通る声で、最後の長い独白を
読み始めます。
碌山の日記を一枚ずつひきちぎりながら、茜の長い一人舞台が幕をあげます。
・・・・・・
黒光
「貴方の命を縮めてしまったのは、他ならぬこの私でしょう。
あの日、田植え前の安曇野で、出合ってさえいなければ、
わたしたちはこんな運命も辿らなかったことでしょう。
類まれな芸術のきらめきをもっていた貴方は、
安曇野の産んだ奇跡です。
常念岳の雪どけをよろこんで、水のぬるんだ田んぼに
汗していた貴方は、まさに安曇野の産んだ、
芸術の原石・申し子そのものです。
でもね、碌山・・・・
私はあなたに、新しい芸術があることを教えなければよかったと、
こうして今でも悔やんでいるの。
あなたに、あの油絵さえ見せなければ、
貴方は今でも、あの美しい安曇野で、今でも平和に
暮らしていたはずだった。
いまでも生命を失うことなく、生き抜いていたのかと思うと、
私の胸はやるせない。
私のなまじの知識が、貴方を、生命を縮める世界へ
引きずり込んでしまったのよ・・・・
愛蔵に嫁いだ私などを、なぜに好きになったのよ。
3つも年下の少年だったくせに、挑む目をして
私を好きになるなんて・・・・
女としての嬉しさは有るものの、古いだけの田舎では
どうにもならない世界でしょう。
そんなことさえ分からないあなたは、あなたの芸術と一緒になって、
私の胸のなかに、無理やりにでも、入り込もうとしてきたのよ。
それが許されないことであり、どうにもならない
現実であるというのに、世間を知らない貴方は、それもまた
無理やりにこじ開けようとした。
芸術の原石だったあなたは、愛にたいしても恐れをしらない
原石だった。
安曇野が、とても懐かしい、
貴方とあぜ道で言葉を交わしていたころの、あの安曇野が懐かしい。
あの頃の戻れれば、貴方が生命を失うこともなく、
私が、人に隠れて涙を流すこともないでしょう。
ああ・・・やはり私たちは、
逢うべきではなかった出会いをしてしまいました。
出会ったことが、すべて間違いのはじまりでした・・・・
作品名:「舞台裏の仲間たち」 74~75 作家名:落合順平