毎日が記念日だって思うんだぼくのとなりにきみがいるなら
2013年1月 吐く息が白く浮かんで消えるたびきみに逢いたいなぁって想う
今年に入って、頻繁にメールやLINEでやり取りするようになった女性まいさん(仮名)。元々はぼくが創っていた同人誌『惑星』の作家さんとして、知り合ったのですが休刊(実質廃刊)してかれこれ8年にもなるのに、細く細く繋がっていたのです。実はずっとまいさんにほのかな恋心を抱いていたのです。
話は変わりますが、今年から短歌に挑戦しようと思っていました。ぼくの短歌に対するスタンスは「短歌は恋のうたであるべきだ」「短歌はもっと現代口語を取り入れたうたであるべきだ」「短歌は民藝としてのうたであるべきだ」というもの。
「短歌は恋のうたであるべきだ」というのは、それがたとえ人でなくても、物や事柄、さらには感覚的なものでもうたう対象に恋をしてうたうことが必要だと思うのです。必然的に前向きな幸せなものになると思うのです。
「短歌はもっと現代口語を取り入れたうたであるべきだ」というのは、どうしても“~たり”とか“あかねさす”とか現代口語的じゃない短歌は自分の心をさらけ出す上でノイズになりそうで、ぼくには必要に思えないのです。ぼくが日常使っている言葉でこそ、本当の感情をうたうことができると思っています。俳句と違って短歌は状況を説明するだけじゃなく、その時の感情を詠み込んでこそいい短歌になると思うのです。
「短歌は民藝としてのうたであるべきだ」というのは、短歌はどうしても“堅苦しい”とか“難しそう”というイメージだと思います。それは、そういう作品ばかりを評価してきた結果だと思います。ぼくは、「短歌にしたら素直に言えちゃった」とか「短歌にしたら気分がすっきりした」とかそういうものとして短歌がとらえられるといいなと思っています。
これから、毎月10首の短歌を読んでいこうと思います。
『きみからの嬉しいメールの年賀状青いハートの絵文字も揺れる』
『「あけおめ」とメールしたけど本当は一緒に雑煮を食べてみたいよ』
『「オーロラの写真集を買ったんだ」きみの好きな空にやきもち』
『朝焼けの写真を撮りに行ったんだきみに「素敵っ」と言わせたくって』
『いつかいつかいつかいつかいつかきっときみが好きだと言っちゃいそうだ』
実際のぼくとまいさんのやり取りは「おはよう」とか「おやすみ」とか「お仕事頑張ってねー」とか「お疲れ様」とかいった、なんでもないものばかりで、たまたま好きな物の話題になったとき「空が好き」「オーロラの写真集を買った」なんて話した程度で、もっとまいさんのことを知りたいと思っています。
『本当は別に理由があるけれどゆううつなのは月曜のせい』
『ねぇきみは誰のために泣くのかな誰のために傷つくのかな』
『吐く息が白く浮かんで消えるたびきみに逢いたいなぁって想う』
『「風邪ひいた」一人の部屋が冷たくてのどとこころが痛くなったよ』
『「大根をスライスにしてハチミツをかけて一晩置いて飲んでね」』
ぼくは1月の初めに風邪をひきました。それをまいさんに伝えると、まいさんの実践している民間療法を教えてくれました。のどの痛みには大根のスライスにハチミツを浸る程度かけて一晩置き、出たエキスを飲むといいとのこと。ぼくは不調の体で大根一本を買いにスーパーに行った。その大根エキスはなんだか優しい味がしました。
2013年1月某日
作品名:毎日が記念日だって思うんだぼくのとなりにきみがいるなら 作家名:桃井みりお