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石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 実のところ、龍之助にも松之助にも、源治の血は一滴も流れておらず、血筋だけからいえば、二人の息子は源治とは全くの他人であった。
 源治はこの二人の倅を眼に入れても痛くないほど溺愛している。大真面目な顔で?龍は俺に似ている?なぞと言うと、お民の方がつい涙ぐんでしまいそうになるのだった。
 源治への感謝と申し訳ないという想いで心は千々に乱れそうになる。でも、黙って姿を消したお民を追って、はるばる江戸から螢ヶ池村まで来てくれた源治が
―この子は俺の子だ。お前は、俺の子を生むんだ。
 そう言ってくれたときのあの言葉をひたすら信じ、二人の子どもたちは源治と自分の子なのだと思って育ててきた。
 源治の言うとおり、確かに龍之助と源治は性格的によく似ているかもしれない。源治は上辺は寡黙で大人しい男だが、芯は強く、なかなかに一徹なところがある。
 全く血の繋がらぬ二人がよく似ていると思えば複雑な想いにもなるけれど、龍之助が良人に似ているのは、お民にとって嬉しいことではある。
 お民がそんなことを考えながら、まだ黒い瞳に大粒の涙を宿している我が子を抱き上げたときのことだ。
 道の向こうから、一人の老人がゆっくりとした脚取りで歩いてくるのが見えた。
 お店の旦那衆が花ふくを訪ねてくることはままあるが、流石にお侍ともなれば、客の中にはいない。が、ここは町人町の目抜き通りでも端に位置しており、数軒先で大通りも終わる。後は八百屋、小さな筆屋や仏具屋などばかりで、あのようなお武家が用のある店はないだろう。
 かと言って、花ふくだって、同様には違いないのだけれど。
 老人は次第にこちらに近づいてくる。小柄で少し背を屈めるようにして歩く姿はかなりの老齢に見えた。紋入りの立派な羽織、袴を身につけているところから察すれば、かなりの身分の侍だと判る。
「ちと訊ねたいが、ここは一膳飯屋の?花ふく?でござるか」
 横柄というのでもないが、さりとて丁寧とも言い難い平坦な口調で老人が訊ねてきた。
 お民は眼を見開いて老人を見つめた。背を屈めているため年よりは老けて見えるが、実際にはまだ五十半ば過ぎかもしれない。髪は白いが、膚には存外に張りと艶があり、彼がまださほどに高齢ではないことを物語っていた。
 何より、その瞳には鋭すぎる光が宿っている。まるで獲物を天空の高みから狙っているような鷹のような油断ならぬ光を放っている。
「さようでございますが」
 お民が眼をしばたたくと、初老の男が小さく頭を下げた。
 お民も慌てて黙礼する。
「それがしが本日、こちらをお訪ね申したのは、事情がある」
 男はそこで人眼をはばかるように、鋭い視線で周囲を一瞥した。
「旦那さんは丁度今、仕込みの真っ最中ですけど」
 お民が控えめに言うと、男は無言で首を振る。
「それがしは飯屋の主に用があって参ったのではない」
 その科白に、お民の胸に俄に不安がさざ波立つ。
 一体、逢ったこともない侍が何用があって、わざわざ自分などを訪ねてきたのだろうか。
 お民は男を店の内へといざなった。
 花ふくは大きな机一つと、腰掛け代わりの空樽が幾つかでもう一杯になるほどの広さしかない。今、店は森閑としており、客の姿はなかった。
 お民が見も知らぬ侍を連れて入ってきたのに、板場から顔を覗かせた岩次の顔に一瞬、緊張が走る。
「旦那さん、お客人らしいんですけど、しばらく場所をお借りしても良いですか」
 岩次が眼顔で頷く。お民もまた無言で小さく頭を下げ、侍に椅子を勧めた。
 男はなおもしばらく店の中を見回していたが、やがて、空樽に腰を下ろした。
 お民に抱かれていた龍之助がむずかって、腕からすべり降りる。
「おっかちゃ。おいら、じっちゃんと遊んでくる」
 龍之助は元気よく叫ぶと、板場の方へと駆けていった。男は板場へと消えてゆく小さな後ろ姿を無表情に見つめている。
「あの、何かご用でしょうか」
 お民がおずおずと切り出すと、男はハッと我に返ったような表情になった。
「失礼。それがしは直参旗本五百石取り、石澤家に父祖の代よりお仕えする者にて、名を水戸部(みとべ)邦親(くにちか)と申す。主家では用人としてお仕え致しておる」
 久方ぶりに聞くあの男の名は、やはり、何か禍々しさをもって響いてくる。
 三年前、拉致したお民を手籠めにした時、嘉門はお民を再びどこかに囲って手許に置いておくつもりだった。しかし、あれから嘉門がお民の前に現れることはなく、日々は穏やかに過ぎていったのだ。
 それが、今になってまた石澤家の用人だという男が現れたのは何故なのか。嫌が上にも不安と恐怖が押し寄せてくる。
 そこで、男は態度も物言いも改めた。
「お方さまにはお初にお目にかかります。それがしはまだお方さまにご対面したことはこれなく、その昔、殿がご幼少の砌は守役として殿をお育て申し上げたこともござりましてな」
 お民が石澤の屋敷にいたのは八ヵ月間ほどである。その間、お民は?妾御殿?と呼ばれていた庭の離れに住まわされていた。必然的にお民が拘わったのは身の回りの世話をする侍女数人だけであり、家老の新田(につた)門戸(もんど)正(しよう)には一、二度逢ったことはあるものの、それ以外の石澤家に仕える家臣を見たことはなかった。
「あの―、そのお方さまという呼び方はお止め下さい。私はもうご当家とは何の拘わりもない、ただの町人でございますゆえ」
 その言葉に、水戸部の白い眉が動いた。
「これは異な事を承る。お方さまは、殿のご寵愛をお受けなり、その御子をお生み奉ったただ一人の女人、そのお方が当家と関わりないと仰せになられるとは承伏致しかねます」
「何を仰せになられたいのでございますか」
 お民は悲鳴のような声を上げた。
「お方さまはお心映えも優れ、ご聡明であらせられると、この水戸部は殿よりよくお聞きしておりまする。そのようなお方であらせられれば、必ずやこたびのお願いもご承知して頂けると」
「―」
 お民は息を呑んだ。
 石澤家の用人の突然の来訪、そして、お民が嘉門の子の母であることを殊更指摘してくるその理由は一つしか考えられない。
「どうか曲げてご承服して頂きたい。お方さまがお生みあそばされた御子、龍之助君を当家にお返し頂きたいのです」
 やはり、そうだったのだ。
 嘉門はまたしても、お民の大切なものを奪おうとしている。お民を攫い、手籠めにした挙げ句、身籠もらせた。三年も放っておいて、いきなり突然現れて、子を返して欲しいだなぞと、よくも言えたものだ。
 何を今更という想いがお民の中を突き抜けた。
「一体、何のことを仰せになられているのかは、私には判りかねます。私どもには確かに二人の倅がおりますが、この子は私と亭主との間に授かった子にございます。それをやんごとなきお殿さまの御子などと仰せられましても、ただ困惑するばかりでございますが」
 お民があくまでもシラを切ると、水戸部は細い眼をわずかに眇めた。