小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

石榴の月~愛され求められ奪われて~

INDEX|41ページ/58ページ|

次のページ前のページ
 

 お民は、頭を源治の胸に預け、眼を閉じた。「それ以上言うな。たとえ誰が何と言おうとお前の腹の子は、俺の子だ。お民、お前はの子を生むんだ、な?」
 いつもは寡黙な良人らしからぬ早口と長上に、開きかけた唇を止められる。
 ほとばしりそうなものを懸命に抑えたよな声の響きに、源治の葛藤を痛いほど強くじた。
「お前さん―」
 お民は源治の逞しい胸から顔を離し、良を見上げる。
 何があっても受け止めてくれそうな懐のさを感じさせる微笑に、お民はもう何も言なかった。
 朝の透明な光が水面の睡蓮をやわらかくみ込むように照らし出していた。

 その翌日は、からりと晴れた。
 蒼い空の涯(はて)に、刷毛で描いたような白雲ひとすじ浮かんでいる。
 お民は竹籠を両手で持ち、樹の下から不げに頭上を仰いでいた。
「本当に大丈夫なんですか? うっかりして落っこちないで下さいよ」
 お民が下から叫ぶと、枇杷の樹に登った治も負けじとばかり怒鳴り返してくる。
「大丈夫だよ。これでもガキの頃は木登り達人の源ちゃんと呼ばれたんだ」
 と、妙なことをさりげなく自慢しながら源治は器用に鈴なりになった枇杷の実をもでゆく。もいだ実はすべて下にいるお民にってよこされ、お民の役目は専ら源治が今も落ちるのではないかと案じながら、枇杷受け止めることであった。
 やがて、籠が一杯になった頃、ようよう治が樹から降りてきた。見れば、するするまるで猿のように達者に降りてきた。登るきも、ひょいひょいと巧みに枝から枝へとなげなく渡っていったが、木登りが得意とうのは満更嘘ではないようだ。
「流石というか何というか、お前さんが自で自慢するだけはありますね。まるで猿のうだわ」
 お民が心底から唸ると、源治はむくれた。「何だ、その猿というのは。人を山猿のよに言うなよ。もちったァ、上手い賞め方はいのか」
「だって、猿は猿ですもの。ううん、山猿よりもお前さんの方が上手かもしれませよ」
 お民が笑いながら言うと、源治もまた笑になった。
「良かった、やっと笑ったな」
 え、と、お民は眼を瞠った。
「昨日からずっと思ってたんだ。しばらくを見ねえ間に、どうもお前はすっかり笑わくなっちまってる。どうしたら前のようにわせられるかなと思って、これでも、からしない知恵を絞り出して思案したんだ」
「お前さんったら」
 お民の胸に熱いものが込み上げる。
 源治の優しさが身に滲みた。
 村外れの一軒家の庭には今、枇杷の実がわわに実っている。
 お民と源治はこの家で共に暮らし始めた。 昨夜も遅くまで話し合い、お民はついにの子を源治の子として生み育てることを決したのだ。
 何より、お民の心を動かしたのは源治のしさだった。
―それ以上言うな。たとえ誰が何と言おうとお前の腹の子は、俺の子だ。お民、お前はの子を生むんだ、な?
 あの言葉を、お民は生涯忘れないだろう。 この男となら、一生歩いてゆける。
 いや、一生、ついてゆける。今度こそ、とえ何が起ころうと、この男の傍を離れまい 固く固く心に誓った。
 源治が山盛りになった籠から一つ、橙色実をつまんだ。
「さ、食べろ」
 お民が愕いて源治の顔を見ると、源治がッと笑った。
「暑い時期でも、これならさっぱりとしてを通るだろう? これから腹の赤ン坊もどどん大きくなるんだ。食べられねえから食ねえっていうのは駄目だぞ」
 最近、お民は再び食が落ちた。妊娠初期悪阻に近い症状だが、これは大きくなってた子宮が胃を圧迫するために起こる症状だ。 源治は昨夜から何度か食事を一緒にしてお民が殆ど食べないのをひどく心配してる。
「そうですね」
 本当は何も食べたくはなかったのだけど、源治をがっかりさせたくなくて、お民その枇杷の実を受け取り、ひと口だけ囓った。「どうだ、美味しいか?」
 まるで親に賞められるのを期待するよう眼で訊ねる源治に、お民は微笑む。
「美味しい」
「そうか、良かった」
 心から安堵したような源治が嬉しげにう。
「まだまだたくさんあるからな。たんと食ろ」
 源治が自分もまた一つ、枇杷をつまんでに含む。
 泣き顔を見られたくなくて視線を落とと、山盛りになった夕陽の色の実が眼に入た。
 涙でその色がぼやける。
 お民は涙を零しながら、源治のくれた枇の実をひと口、ひと口、宝物のように大切食べた。

                  (了)







紅葉―秋
 色目

 また他に秋を表す色目は
?鴨(つ)頭(き)草(くさ)?
がある。









金木犀
   花ことば―真実、初恋、謙譲
うっとりとさせる香りで、人を誘い込むにも拘わらず、素朴な花の姿から?初恋?、?謙遜?といった花言葉が生まれたとも云われている。

曼珠沙華
 花ことば―哀しき想い出
 彼岸花の名でも知られる。

沈丁花
    花ことば―優しさ




     【壱】

 やわらかな風に乗って、ほのかな香りが運ばれてきた。花の香りには相違ないが、一体何の香りだろうと、お民は確かめるようにゆるりと首をめぐらせてみる。見渡す限りには、そのような芳香を撒き散らすような花も樹も見当たらないのは当然のことなのに、何故かがっかりするような気持ちになった。
 ここは江戸は町人町の一角、一膳飯屋?花ふく?の前である。
 お民はこの場所からそう遠くない徳平店に良人や子どもたちと暮らしている。徳平店は初代の大家の名前を取っていまだにそう呼ばれている。要するに、江戸の町のどこにでも見かけるような粗末な棟割り長屋である。
 お民はこの裏店に暮らし始めて、もう十二年を数える。最初の良人兵助がここの住人で、兵助の許に嫁いできた十五の歳からずっと徳平店にいるのだ。兵助は腕の良い大工で、二人の間には兵太という倅にも恵まれたが、兵太は五つのときに近くの川に落ちて亡くなり、その一年後、兵助も伜の後を追うように持病の心臓発作で逝った。
 その後、かねてから気の置けない間柄であった斜向かいの源治とわりない仲になり、兵助の一周忌の法要を済ませたのを区切りに晴れて所帯を持った。源治は当時、二十一で、お民よりは二つ下であった。
 二人はその日暮らしながらも、夫婦水入らずの幸せな日々を紡いでいたのだが、ある日、お民が直参旗本石澤嘉門に見初められたことから、思わぬ不幸に巻き込まれることになる。
 その頃、お民は手内職を探していて、口入れ屋の三門屋に造花作りの仕事を紹介して貰っていた。十日に一度ほど、作った造花を持って三門屋を訪ねるのが日課であったのだが、丁度、三門屋を訪ねていた石澤嘉門とお民が出逢ってしまったのである。
 嘉門はお民にひとめ惚れをし、三門屋に何とかお民を手に入れられぬものかと相談を持ちかけた。三門屋は相応の礼金と引き替えに、お民を嘉門のものにするための知恵を授けた。そのことで、お民は嘉門の許で一年間、妾奉公をする羽目になった。
 お民は嘉門の望んだとおり、嘉門の子を懐妊したが、あえなく流産、一年の年季が明ける前に暇を出されて源治の許に帰ってきた。