「舞台裏の仲間たち」 72~73
この新しいお店は、最初の日の売上が
本郷のお店の売上を上回ったという、注目の記録が残っています。
新宿という土地の「伸びる勢いのすごさがわかる」まさにそれを数字で証明をします。この後の明治42年に、中村屋は二軒隣の土地を購入して
それが今日のお店になっています。
中村屋が新宿に進出を果たしたその同じころ、碌山が
7年余りの年月を経て明治41年に、欧州からの帰国をはたしています。
ロダンのもとで修業した碌山は、欧州滞在中に製作をした習作を抱えて
彫刻家として製作活動をしていくために、一ヵ月半ほど安曇野での
滞在を終えてから中村堂に黒光を訪ね、援助を受けながら
活動の拠点を作りはじめます。
相馬夫妻が営む新宿中村屋の二階に仮住まいをしながら、
近くに設けたアトリエに通って、作品の制作にとりかかります。
しかしアトリエと言えば聞こえはいいですが、実際には
麦畑やトウモロコシ畑の中に立つ六畳一間くらいのバラック建ての
粗末な小屋でした。
こうして碌山が新宿で彫刻の制作を始めた頃から
碌山と親交の深い人々をはじめ、多くの芸術家や文人、演劇人などが
中村屋に出入りするようになります。
これが世に言う、「中村屋サロン」の始まりです。
同じ安曇野出身の文人が、中村屋に多くの芸術家が集い、文人たちが
出入りした様を「まるで中世ヨーロッパのサロンのようだった」と
講演などで表現をしたことから、これが全国に知られ、やがて
一世を風靡することになります。
作品名:「舞台裏の仲間たち」 72~73 作家名:落合順平