図書室の夢
『夏』
図書室に夏の日差しが差し込んでいた。もう昼下がりであるというのに、春と違って図書室はとても明るい。外の蝉の声が、図書館の静寂を打ち消してしまう代わりに、いつもより明るい雰囲気を図書室にもたらしてくれる。日差しの方は暑さ以外何一つもたらしてくれなかったが。
「…………」
そろそろ本ばかり読んではいられず、進路について考えなければならない時期に来ていた。夢ではなく、ちゃんとした将来への進路をだ。こんな時にそれを導いてくれるのは、誰に対しても平等に、時として残酷に、現在の自分の立ち位置を明確に示してくれる成績表と教師達だろう。
「……難しい、か」
今日の放課後。つまりつい先ほどの二者面談で、僕の成績表を見た担任から告げられた言葉をゆっくり反芻する。
――もっと頑張らないと。
――英語が苦手じゃ大学入れないよ?
――国語はすごくいいんだけどねぇ。
――君の学力ってムラがあるんだよねぇ。
――正直、この大学難しいんじゃないかい?
図書室の読書スペースの机に突っ伏す。自分でも自覚していたつもりだったが、他人からこうも的確に指摘されると、流石に落ち込んでしまう。
卒業と同時に司書の資格がもらえる大学は割と少ない。僕が住んでいる北海道にある国公立大学で、司書の資格がもらえる『司書要請科目』を開講しているところはない。私立大学ですら四校しかなく、そのうち一つは女子大なので実質三校だ。
僕はその三校で一番ランクが低い大学でも危うい状況だった。
「やっぱり、英語がネックすぎるな」
国語だけなら、入学当初から学年十位以内を保っているのだが、英語は逆に、補修授業を受けなかったことがないくらい悪く、完全に足を引っ張っている形になっていた。ほかの教科も中の下程度の点数しか取れないし、部活にも入っていないので、推薦を狙おうにも難しい立場にある。つまりこれでは、正攻法で司書になるのは難しい。いや、それ以前に英語ができないなら大学にすら行けないかもしれない。
全て勉強不足のかつての自分が招いたことであるというのはわかっているのだが、心のどこかで、努力したことが報われないことに憤りを感じてしまう。
「何かあったんですか?」
僕が座る席の向かいには月島さんがいた。いつも通り、ハードカバーを読んでいる。今日は指輪物語のようだった。向こうから質問しているはずなのに、こちら側には当然のように向かない。
「わかりきってることを訊かないでよ」
「さあ、なんのことだかさっぱりわかりません」
よくわからないが彼女もどうやら機嫌がだいぶ悪いようだった。確かによく見てみると、若干いつもよりも硬い表情をしているように感じる。本に向かう視線も、いつもより鋭い。正直、彼女も不機嫌になることがあるのか、と、当たり前であるはずのことを若干驚いている自分がいた。
「さっきの二者面談で志望大学難しいって言われたんだ」
一瞬、反抗しようとも思った。おそらく彼女は気づいているからだ。だがここで『どうせわかってるんだろ』などと半ば八つ当たり気味に言い放とうものなら、それこそみっともない。正直に話すのが吉だろう。
「まあそんなところだと思いましたよ」
月島さんはまだ視点を上げない。
「夢を叶えるってことは難しいですからね。一つや二つ大きな壁にぶつかったって不思議じゃありませんよ。まあ心が折れそうになるのはわかりますけど」
「わかるの?」
「私をなんだと思ってるんですか。私にだって心が折れそうになったり、諦めたりすることだってありますよ」
月島さんはこちらを向かず、でも少しだけ語調をきつめにしてそう言った。
僕は月島さんを完璧超人か何かだと思い込んでいたのかもしれない。確かに、さっきの『わかるの?』は普通に失言だった。
「ごめん」
「別にいいですけど。人文学部諦めるんですか?」
「いや、それは諦めない」
流石に成績悪いだけで諦めるくらいなら、そもそもなろうだなんて思わない。それに、彼女のさっきの言葉を借りるなら、今のところ大きな壁と言えるのは英語だけなのだ。一教科くらいなら、努力すればどうにかなるだろう。
「……そうですか」
今日、初めて月島さんは顔をこちらに上げた。春先から若干髪が伸びたきがする。顔は相変わらず無表情のままだが、さっきに比べて若干顔が和らいだ気がする。和らいだというか動揺しているようにも見える。
「そんなに心が弱い人間に見えるの?」
「そんなことないですよ。まあ少し驚きましたが」
そう言いながら、月島さんは椅子から立ち上がり。後ろの壁にかかっている時計を確認する。
「そろそろ二者面談なので、行ってきます」
「ああ、わかった」
髪を揺らしながら出口に向かう月島さんを見て、ふと気になったことがあった。大した疑問ではなかったが、一言で終わりそうなものだったため、扉に手をかけた月島さんに訊いてみた。
「そう言えば、月島さんって進路どうするの?」
これだけ本を読んでいるのだから、人文学系大学に行くのは確定といっていいだろう。偏見的思考ではあるが、間違いではないはずだ。
「理工学部の電子工学科ですよ。こう見えても数学と科学なら得意分野なので」
そう言って、月島さんは図書室から出て行った。この時、自分が予想していた答えと正反対の答えが帰ってきて、呆然としていた僕の顔は、鳩が豆鉄砲を食らったようなさぞかし滑稽なものだったろう。