偶然から生まれた私の考え
知恵の実と罪
知恵の実を食べたアダムとイブ。
二人はなぜ追放されたのか。
それは、今まで考えもしなかったものが次々と襲ってくるからだと思う。
七つの大罪、というのを知っていますか?
元々は8つで、それを厳しさの順にすると
「暴食」「色欲」「強欲」「憂鬱」「憤怒」「怠惰」「虚飾」「傲慢」
だそうです。
七つの大罪の詳細が気になった方は、Wikipediaでご覧下さい。とても詳しく書かれています。
この8つの大罪。
知恵の実、即ち林檎には、この大罪が含まれていたのではないかと思います。
きっと元々アダムとイブは、まさに「神の子」として
清く美しく優しい子だったでしょう。
しかし、知恵の実を食べたことによって
「食べつくしたい」気持ち
「体で得る」快感
「誰にも渡したくない」強い欲望
「今までやってきた事の」放棄
「二人という2つの個性の」ぶつかり合い
「めんどくさい、後でという」先延ばし
「めんどくさい事はやったことにする」嘘
「もっと偉くなりたいという」欲望
知恵の実を食べて堕ちてしまったアダムとイブの子が
私達というなら、納得がいきませんか?
アダムとイブが実を食べてから、何千年。
実の力は衰えることはなく、とある小さい思いから蘇る罪だとしたら。
私はアダムのイブの事はよく分からないですが
彼等が罪を犯し、その罪が許されてるとしても
私達の心の中にはまだ実の力があるとしたら
今生きている私達は皆、皆、罪人なのか。
その力が強まり、人々が作った法律を破り犯罪を犯した時、罪人になるのか。
それを決めるのは、神でもなくアダムとイブでもなく法でもなく
心の中に罪の果実がない、潔白の誰かが決めることなのではないのか、と私は思う。
そして私は、絶対に潔白にはなりたくない。
怒りも欲も心の中にある受け継いだ実も
全てが私であり、それが1つの感情だから。
潔白で自分の感情も出せないような人間に
私はなりたくない。
人生、甘いだけじゃつまらない。
辛味だってほしい。
だから私は人が定めた法は破らず
神が作った実の罪を辛味として食す
そうじゃなきゃ人生、面白くないでしょ?
と、15歳の自分が笑ってる気がする。
それを感じながら、15歳のもう一人の自分が記している。
もしかしたら笑ってる彼女が「心の中にいる罪」なのかもしれないし
それを記してる私が「心の中の罪」なのかもしれない。
でもそれは私で、彼女も私だ。
私が罪であっても、彼女が罪であっても。
私はその罪を認めよう。
もし彼女が私の妄想の中の存在としても
私は彼女を愛し続けよう。
そしてどうか彼女も私を愛して欲しい。
それが罪だとしても。
さて、貴方の心の中に、自分以外の誰かは居ますか?
いつも居るのは罪だと思いますか?
ぜひもう1人の自分と向き合ってみてください。
何か見つかるかもしれませんよ。
作品名:偶然から生まれた私の考え 作家名:玉響甘楽