[短編]魔女と大鎌
とんだ失策だ。
ならこの、隣で目を閉じ耳を押さえてうずくまっている少女を、どうにか生身で殺さないといけない。魔術は出来るだけ使いたくない。リスクがある。
あるいはどうにかして、大鎌を少年の背骨から抜き取るか・・・。
と、その時、思いがけなく、背後で物音がする。
「なん、だよ・・・・・・これ・・・・・・」
見ると、ここにいる兄妹よりも、もう少し年上の少年――というよりも青年と言った方がいいか――が、リビングのドア先に落ちている母親の死体を見下ろして絶句していた。
「たかしおにい・・・ちゃん・・・・・・」
少女の方がか細い声を上げる。
わたしはちっ、と舌打ちをした。
食卓に家族が揃っている中、この青年だけが自室にいたということか。
いや、そんなことはどうでもいい。問題はこの状況をどう切り抜けるか。
被害者のフリをして誤魔化すか・・・、いや、ありえない。誤魔化しきれるはずがない。
ならば逃げる? ・・・いや、クレセントサイズを残していくわけにはいかない。
肉弾戦・・・・・・。いや、青年か少女一人ならともかく、無謀だ。一方を相手にしている間に助けを呼ばれるのも困る。
ならば・・・・・・残る選択肢は・・・・・・。仕方ない。
人差し指を一つ、立てる。“マナ”を外に出すための孔を指先に空ける感覚。
“マナ”が拡散しないよう意識を集中して力を込めると、やがて指先が淡い青色の光を放ち始めた。
「ゆかり・・・っ!!」
青年がリビングに侵入してくる。
死体の山と、わたしと少女を見つけて、驚愕に目を見開いている。
焦るな。
焦れば魔術は失敗し、“マナ”は体外へと漏出して最悪の場合わたしが死に至る。
必要な量だけの“マナ”を抽出し、外界へと現出させる。
間に合う。
焦るな。
「おにいちゃん、この、子が・・・・・・っ!」
少女が血まみれのわたしを指さす。
青年は衝撃から立ち直り、怒り狂った眼差しをわたしに向ける。
指先に“マナ”が集中する。
よし、大丈夫。あとは孔を塞いで放つだけ。
と、その瞬間、わたしは背後から急襲を受けた。
目の前には青年。ならばこれは・・・。
見ると、先ほどまでうずくまって震えるばかりだった少女が、果敢に立ち上がり、わたしにしがみついていた。
わたしは集中を乱され、指先に集中していた“マナ”が一気に拡散していくのを感じた。
まずい。
と思ったときには遅かった。
指先に開いた穴から、“マナ”が漏出していく。
“マナ”には血液のように、空いた孔を自然に塞ぐような機能はない。意識を集中して自ら閉ざすほかないのだ。
このままでは・・・・・・。
と思った瞬間、頬に鈍い衝撃を受ける。
どうやら、青年が拳でわたしの頬を殴りつけたようだった。
わたしは歯がみする思いだった。
・・・わたしは馬鹿だ。
油断していた?
慣れからくる慢心・・・・・・。
ぐったりと身体から力が抜けていく。
そんなわたしの様子に構わず、先ほどと反対の頬に青年の追撃が加えられる。
視界がちかちかと明滅する。
この、ままでは・・・・・・。
このまま・・・・・・わたしがここで死んだら・・・・・・。
かづき・・・・・・。
あと1994・・・。ここにいる人間を全部吸えば・・・あと、1986・・・・・・。
まだまだ・・・殺さなくちゃ・・・。
側頭部に、青年の拳を受ける。
わたしは膝から力が抜けるのがわかった。
どさり。鈍い音。
ああ、この音は。人間が地面に倒れ込んだときの音だ。
わたしが・・・倒れても・・・、人間と同じ音がするんだ・・・。
指先に小さく開いた孔から、わたしの生命そのものが漏れ出していく。
酸欠に陥ったように、意識が朦朧としていく。
頭上で、青年が激しく息を切らしているのがわかる。
少女が泣きわめいている。わたしが倒れて、恐怖の呪縛が解けたのだろうか。
青年の注意も、わたしから部屋の惨状、生き残った妹の方へと向かったらしい。
ああ。
ああ・・・・・・。
馬鹿者め・・・・・・。
邪魔さえ入らなければ・・・、わたしは孔を閉じて、再び攻勢に打って出ることができるというのに。
お前たちは、わたしに、とどめを刺さなければならなかったのに。
わたしは、朦朧とした意識の中、指先に全身全霊を込める。
でも・・・・・・。
本当はこのまま・・・・・・。
かづき・・・・・・。
そうだ・・・・・・。
わたしがその事に気がついたのは、いくつ魂を刈り取った後だったろう。
たぶん、百は超えていたろう。
それまでは疑問に感じることなんてなかった。
だって、のうのうと生命を貪って、与えられた幸福に甘んじている人間などよりかは、よっぽど弟が生きているべきだと、そう確信していたから・・・。
『かづきが死ぬくらいなら、お前が死ね』
そう言って魂を刈り取った。
弟の魂を半分、補完するだけで、2442も必要になる、人間の魂。
なんて薄っぺらい魂なのだろうと思った。
きっと塵芥ほどの価値しかないのだと、思っていた。
でも・・・・・・。
ふとある時、考えたんだ。
かづきは・・・、あの優しいかづきは・・・・・・、自分が助かるために、千を超える人々の魂を奪ったのだと知ったら、どう思うだろうかと・・・。
わかっている・・・。
かづきは、間違いなく、苦しむ・・・。
でも、それでも・・・・・・。
かづきが生きるためになにか出来るなら、しないでいられるはずがない・・・。
わたしは自分に言い訳をして、それからもずっと、罪もない人々の血を流し、その存在を抹消してきた。
正義とはおもわない・・・。でも、正しいとは思っていた・・・・・・。
指先に空いた孔は塞がった。
二人の命を奪うだけの“マナ”も取りだした。
どうする・・・。
わたしは一瞬迷った。
青年が泣きむせぶ少女を抱き留めて、悲壮な表情を浮かべている。
けれど、それを見た瞬間、だった。理由はわからない。
迷いは消えた。
と同時に、わたしの中に、なにかどす黒いモノが、芽生えた。
口元が歪む。
喉がひくついて、くっくっ、と笑いがこぼれるのを抑えられない。
ああ。
ああ・・・・・・・・・・・・。
青年が強い意志を帯びた眼光でわたしを見据えた。
刹那。
『殺してやろう』
判然とした言葉がわたしの脳裏に浮かぶ。
頭の中に埋まっていた箍がぱきっ、と音を立てて壊れるのがわかった。
指先に溜まっていた“マナ”の性質を変える。
ひゅんっ、と鋭い音を立てたかと思うと、青年の目玉が潰れた。
後には不気味な暗がりが、顔に二つ残ることになる。次いで、青年が両手で顔を覆って、けたたましい悲鳴を上げる。
その瞬間、激しい愉悦がわたしの胸中に広がるのがわかった。
見ると、絶望の表情でそんな兄を見つめている少女の姿が。
『この子は、とっておこう』
頭の中で声がする。
不思議と意識は鮮明だ。
“マナ”が、まるで身体の奥から沸き立ってくるような感覚さえある。
わたしは未だ死体の上に突きたったままの大鎌をみやる。
最初からこうすればよかった。