『愛情物語』 ノクターン第2番 op.9-2 (ショパン)
両親は音楽家で、父はチェロ奏者であり、母はハープを演奏していたが、今はいない。ふたりとも事故で死んでしまった。11歳離れた姉歌音(かのん)も、両親より早く、病で亡くなっている。
空気が澄み景観の良い、山梨県小淵沢に居を構えていた。
姉にとって、そこでピアノを弾くのが唯一の楽しみだった。騒音として近所からの苦情など気にせずに、好きな時に好きなだけ、演奏することが出来たからである。
お気に入りは、ショパンのノクターン。
姉は小学2年生の時、学校の3階から転落し、その時に受けた衝撃によって内臓を損傷、入退院を繰り返すようになっていた。生体腎・肝の移植に望みを託していたが、適合者はなかなか現れない。
姉を溺愛していた父母は、もう一人子供を産むことを選択し、希が生まれたのである。
希は母から、何度も聞かされていたことがある。
「希ちゃん、大きくなったらネ、おねぇちゃんに、片方の腎臓と肝臓を少し分けてあげてね」
その意味がよく分かっていなかったが、小学生になり、いろいろな知識を学ぶうちに、自分はドナーになるべく生まれてきたのだ、と悟っていった。自分の体が切られて、腎臓や肝臓が取られてしまうことに恐怖を感じていたが、それでも父と母から愛されたくて、褒められたくて、「いや」とも「こわい」とも言えないでいた。
しかし父母の願いはかなわず、希が中学生になった頃に姉歌音は他界した。両親の落胆ぶりは、言葉では言い尽くせないほどだった。
姉のことは大好きだったが、ほっとした気持ちがあったことは否めない。
希は、当時のことをさらに思い出そうとした。
姉と希は一緒に出かけたことはない。姉は、病院へ行く以外はほとんど家を出なかった。また、姉の写真は残されていない。
希は洗面所へ行き、自分の顔を鏡に映し、姉の顔を思い浮かべた。
じっと鏡に見入る。
今は病気でやつれているが、姉に似ているというより、そのままの容姿である。
何度も角度を変えて、鏡に映してみた。
そして再び、週刊誌の写真に見入った。
それは、希とも、姉の歌音ともいえた。
作品名:『愛情物語』 ノクターン第2番 op.9-2 (ショパン) 作家名:健忘真実