昭和の旧車名車とともに 第二部 購入編
グロリア 2000GX 2ドアハードトップ
3台目に買った車が日産グロリア 2000GX 2ドアハードトップ 型式230というやつですね。後姿がどことなくマスタング風で好きな車でした。
バブルの頃「シーマ現象」と呼ばれ「ハイソカー」なる造語も出来、若者も高級感ある車に乗っていた時代がありましたが、30数年前に当時の高級車を乗り回していたわけです。
当時20歳そこそこの頃、中古で買った白いボディーに白のレザートップのその車、当然ミッション車でツインキャブ、まだ速度感知パワステではなかったので女の子を乗せていると交差点で左ハンドルきり彼女をこっちへ寄せるなんてこともしてましたか。
薄給だった会社でしたが、ガソリン代、オイル代は全額出してくれたので、燃費などに気にする必要なく乗り回せました。高燃費のその車を仕事でも乗り回すものだから社長は尽かさず軽トラを買ってくれました。
これもあっちが壊れこっちが壊れ、色々修理をした記憶がありますが、それよりこれで行ったお見舞いの事のほうが強く残っています。
知り合いのそれは可愛い女の子がいました。同級生の高校時代の同級生だったその子を知ったのは地元の喫茶店。喫茶店という響きがまた当時らしい。今のカフェとはニュアンスが違い、大人になっていける場所的な響きでした。そこへたまたま行くと、これまたたまたま女子の同級生数人とその女の子がいて紹介してくれたのでした。小柄な丸顔でボブだったこの子目がとても可愛らしく、同級生に「可愛いね」といった記憶があります。別段付き合うと言う訳でもなく、さりとてどこかで会うと、「あれ○○さん、こんにちは」と気軽に話するような感じでした。しかしなんでどこかであったのか不思議です。もしかしたら同級生が仕組んでいたのかな??
その彼女銀行へ勤めだしたのですが、通勤途中にうちの前を通るので時たま顔を見ては
「○○さんだ」と感じておりました。 ある日誰か、その彼女が大学病院へ入院したと聞かされました。なんでそんな話を聞いたのか・・・今では思い出せませんがそうだったのです。原因が分からず紫外線に当たると駄目だそうで、今思うと紫外線アレルギーだったのでしょうか?とにかく徳島の大学病院へ入院していました。
ここからが私らしい。それならお見舞いに行ってあげないと、と思った訳です。実はその同級生にNさんという子がいまして、その子に興味があった。そこで同級生なんだから一緒にお見舞いへ行こうと誘ったわけです。
少し話しは飛びますが、私たちの時代って出会いってどこにでもありました。女の子と知り合うって全然違う学校の生徒と何かのイベントで一緒になると連絡先交換して文通や時には電話を掛け交流したものです。ですからリアルで交際相手がいないとネットを利用し相手を探す社会になり「いったいなにしてるのかな??」と不思議でなりません。出会いはどこにでもあるのにです。
作品名:昭和の旧車名車とともに 第二部 購入編 作家名:のすひろ