ことばの雨が降ってくるまで
フィクションの楽しさ
物語を考える、作ることはとても楽しいことです。
まったく違う世界を作り上げるのですから。
現代物は特に調べなくても自分の身の回りの世界ですから、それを自由自在に使って架空の人物を活躍させればいいし、異世界なら、自分がどんな世界を作ろうとも思うままです。
ですが、気をつけなくてはならないことが一つ。
その世界を破綻させてはならないことです。
あまりにもなんでもありだと、嘘っぽくなってしまいます。
どうせ嘘だとわかっていても、本当らしく見せるのが作家の作家たるゆえんですから(^o^)
ただ、歴史ものですと、時代考証とか実在の人物とかをどう絡めて行くか、工夫が必要になってきます。
あまり史実にとらわれすぎてしまうと、せっかく自分が作った架空の人物を活躍させることができません。
最近、中国の歴史ドラマ『美人心計』を観ました。
これがまあ、あきれるくらい史実を無視したフィクション満載。
かろうじて各人物の末路だけ帳尻を合わせているといった有様。だから、突っ込みどころは満載で、あらを探せば、つじつまが合わないところがぼろぼろ出てきます。
けれど、「おもしろさ」を追求してとことんフィクションをねじ込んでいくと「こうなるよ」といった例としてはここまでやるかと敬意を表したくなりました。
要は、おもしろさが勝れば、ちょっとくらいのおかしいところは目をつぶれるということでしょう。
もちろん「整合性」だけはちゃんとしていればね。
作品名:ことばの雨が降ってくるまで 作家名:せき あゆみ