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「舞台裏の仲間たち」 53~54

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 ある台湾人被害者のはなしです。
 
 この方は1930年台湾苗栗県に生まれました。
彼女は、台湾内の日本軍施設に連れて行かれて、その被害に遭いました。
50年たってから初めて御主人にその話をしたそうです。

 そのとき、わたしの婚約者は
日本の兵隊にとられて、南方へ行っていました。
わたしは家で、お父さんの仕事を手伝っていました。
そうしたら日本人の警察が呼びに来て、仕事があるから来なさいって言いました。
兵隊にご飯をつくったり、破れた着物を縫ったりする仕事だと。

 行きたくないと思ったけれど、警察の人が、
いまは戦争で男も女も国家総動員法だから来なくてはいけないと言うので、
働きに行くことにしました。
日本兵がたくさんいました。

 わたしのほかに女の人も何名かいました。
わたしたちは朝起きたら顔を洗って、ご飯をつくって兵隊に食べさせ、
それから洗濯して、破れた着物を縫いました。
そうしたら、夜になって呼ばれて、部屋に入れられて…、
悪い仕事でした。


 泣いてばかり。
昼間は着物を縫って、洗濯して、この仕事は楽でした。
でも夜は死んだ。死んでるんです、死んでいる気なんです。
逃げたいけれど道がわからない。
それに門のところに兵隊が立っているから、逃げたら鉄砲で撃たれるでしょう。
子どもだったですよ、なにもわからなかった。
妊娠したこともわからない。

 食べ物を食べても吐くから、
一緒にいた女の人に妊娠しているよと言われました。
二ヶ月で流産しました。
今でも涙が出ますよ。
あぁ…あんたにこんな悪い話を聞かせて、すみませんね。


 婚約者はもう死んだと思っていたけれど、
戦争のあと、長い間して突然帰ってきました。
それから結婚をしました。
でも主人にもずっと言わなかった。
誰にも何も言わなかった。言えないですよ。

 50年たってから、
ほかにもわたしと同じ人がいることがわかって、
わたしも黙っておれなくなって、がまんできなくなって、主人に話しました。
許してくださいといって頭を下げた。
主人はびっくりして、自分も戦争で苦しかった、
あんたも苦しい目に遭っていたんだねと言いました。
でもしようがない、これは戦争だからといって許してくれました。

 それまでずっと、主人がこれを聞いたら、
わかったらどうするかと思うと、心が怖かった。
そのことばかり考えていました。
でも主人に話して、
気持ちが明らかになりました。


 いまは主人とふたりで暮らしています。

 ひざや体が痛くて畑の仕事もうできないから、
野菜を少しつくって、こうして束にして売りに行っています。
年寄りだから米も少ししか食べないから、
それで足りるでしょ。
でもお金はないから、生活はとても苦しい。