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『喧嘩百景』第9話緒方竜VS松本王子

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 王子の背格好は沙織とほとんど変わらない。不知火羅牙(しらぬいらいが)のような常識外れた馬鹿力の持ち主がそうそういるとも思えないが、あの体格で、竜と力で勝負しようというのだろうか。
 ――何企んどんのや。
 竜はそろーっと手すりに近付き王子の手を掴んだ。
 何を企んでいたとしても、羅牙のような念動力者でもない限り、こんなチビに止まっている彼の身体を持ち上げることは不可能――竜はそう判断したのだ。
 しかし、王子は、
「先輩、随分と腰が退(ひ)けてるよ」
と笑うと、竜の手をしっかりと握ったまま、背中から手すりの向こう側へ身を投げた。
 軽いとはいえ、王子の全体重が位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら竜を引き寄せる。
 「何すんねやっ!!あほう!!」
 あっという間に手すりまで引き寄せられて、竜は声を上げた。
 幅のあるコンクリート製の手すりは返って掴まるところがない。
 竜は必死の思いでコンクリートの固まりにしがみついた。
 腕が軋む。
 彼の手を握ったまま王子は壁に垂直に立っていた。
 王子の背後、遙か遠くに地面が見える。
 ぐるりと目が回った。
 ――あかん、落ちる。
 そう思った途端、下半身から踏ん張る力が消え失せた。
 恐怖で麻痺して感覚さえない。
 「いい天気だ」
 王子が気持ちよさそうに空を仰ぐ。
 次の瞬間、竜の身体は手すりを乗り越えていた。
 内蔵も何もなくなってしまったかのように身体に風が通る。
 「いやや―――――――――――!!」
 一瞬の浮遊感の後、王子の手に引かれて竜の身体は真っ逆様に落下を始めた。


★             ★


 「竜(りょう)ちゃーん」
 額に冷たいものを当てられて竜は目を開けた。
 肩が痛む。
 どういうわけか頭の上へ伸ばしたままになっている腕が動かなかった。
 ――何や?美希はん……?
 竜は何がどうなっているのか解りかねて首を傾げた。
 彼の顔をを覗き込んで手を差し伸べているのは、クラスメートの碧嶋美希。長い黒髪が風に吹かれて揺れている。
 よく見ると自分の手の先にもよく知った顔が彼を覗き込んでいた。不知火羅牙(しらぬいらいが)――。
 二人とも窓のようなところから顔を出していた。