『喧嘩百景』第9話緒方竜VS松本王子
「お茶会同好会会長、緒方竜。相手になってもらおうか」
チビは肩を回して拳を突き出した。
竜は漸(ようや)くほうっと息を吐いた。
「ええ度胸しとるやないか、こんクソガキ。いっぺん泣かしといたろか」
「その言葉、そのまま返すよ、先輩 v 泣いても知らないから」
チビ――松本王子は、拳を口元に寄せて「ちゅっ」とやった。
「表ぇ出さらせ!!」
竜は手近の椅子を蹴り飛ばして天井を指差した。
「そうこなくっちゃ」
満面の笑みを浮かべて王子は窓に飛び付いた。
★ ★
「待ちかねたよっ、先輩」
竜(りょう)が大慌てで屋上に上がっていくと、王子(おうじ)はもう屋上のコンクリート製の手すりの上に立って彼を待っていた。
「こんクソガキ、何でもええわい、かかってこんかいっ」
王子は四階から五階の窓へ壁づたいに上がってきただけでは飽き足らなかったのか、屋上へ上がるのにも五階の窓から飛び出した。
どうやったらそんなことができるのか竜の常識では考えられない神経の図太さだった。
「かかって来るのはあんたの方だよ、先輩」
王子は片手を腰に当てて拳を突き出した。
その仕草に竜は嫌な既視感を感じて眉を顰めた。
――何や、前にもこないなことが――――。
「へーい、かもーん」
王子は人差し指でちょいちょいと手招きした。
びくんと嫌な思い出が竜の身体を震わせた。
――あいつか。
石田沙織(さおり)の人を小馬鹿にしたような笑顔が頭を過ぎる。
身の軽さと言い、人を馬鹿にしたような言動と言い、いちいちあの女にそっくりなのだ。
竜は、怒りにまかせて飛び込むのを躊躇(ためら)った。
沙織のやり口はよく知っている。ああやって挑発しておいては逃げの一手で、必死で逃げているにも関わらずその素振りさえ見せず、攻め手が僅かでも隙を見せれば絶妙のタイミングで足下(あしもと)を掬うのだ。迂闊に乗せられるのは得策ではない。
「いつまでもそないなとこに立っとらんと下りて来んかい」
王子に対する警戒以外の理由もあって手すりに近付けない竜に、
「力尽くで引き擦り下ろしてみたらどう?」
と、王子は手を差し出した。
作品名:『喧嘩百景』第9話緒方竜VS松本王子 作家名:井沢さと