シンクロニシティ
下村へ期待の言葉を投げる桜と弥生。記憶では思い出せない下村は、その感情だけを強く感じて、感情が逃げないように、大事に心を保つ。
19:16 モンストラス世界。郊外。
一片の灯りも見えない場所。そこは風が強く、波の音が響いた。そこに激しく光る二つ。車のヘッドライトに照らされた先には、柵のない眼前の崖。ひとりの女性が乗車していた。簡単に稼働するエンジン音。ギアをDに合わせる。女性は強くまぶたを閉じるとブレーキから足を離し、着実に前進する車。強く瞑ったまぶたを見開くと、アクセルに足を踏み変えた。
「え!!」
その時、ボンネットに柔らかい衝撃と共に、何かが墜ちてきた。誰の存在も感じないはずだった。むくりとうごめくその物体は、明らかに人である様子を形どっていた。サイドブレーキを上げ、運転席から外に出る女性。ライトに映し出す前に、女性には誰であるか察しがついた。
「敦!! 敦でしょ!? どうして、あなた……私を止めに?」
「うぅう……神さま……に、助けられた……俺、逢った……ことある……君に逢ったことが……ある」
「あなた……私が……わからないの? 精神状態が悪化したって聞いて……もう、何も理解できる力がないって聞いて……わたし」
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精神病棟の地下一階から半日で解放されていた下村の妻。その時に聞かされた夫である下村敦が完全に自我が崩壊して、無期限で長期な入院を強制させられた事をRの弥生から伝えられた。それを知って向かった先が今朝訪れたこの崖だった。一人では未来が見えないこの世界。今朝、二人で飛び立とうとした別の世界。自殺願望のある夫。バグにより娘が妻となった混沌の世界。目覚めていない妻。同じように心が壊れることが出来ないのであれば、先に無になろうとしていた。
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「俺は……あなた……を思い出せない……けれど……あなたが……大切」
「私も、あなたがいればいいわ。あなたは、私の一部よ」
ボンネットの上で抱きしめ合う二人。空では、人工的に作られた流れ星が、まばたきを二回できるほどゆっくりとした時間を二人へ運んだ。
全てが混沌であり、けれど、最後には繋がる『意味のある偶然の一致』。
目覚めていないものには、それは日常的に、予定通りに、当たり前に訪れた再会。
目覚めた者には、試練の果てに見ることのできた『神に与えられた必然的な願い』。
実際は、お互いを想いあい、願った『必然的な想い』がシンクロニシティを生み出した。
◆◆◆
19:18 シンギュラリティ世界。地下施設。
町田は壁全面にいくつものモニターが360度に張り巡らし、眺めることのできる広大な部屋で、モンストラス世界におけるシンクロの状況を眺めていた。
「んー。中々いい話だなあ。気持ちが同調した人間は、全てが偶然で運命的に思える奇跡、かぁ」
傍観者としてシンクロが発生した現場を眺める町田。全てのモニターには、全て違うシチュエーションでお互いを想い合う者同士の出来事。近くで、または離れた場所で奇跡の体験をする。
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遠く離れた地域で親友の愛用する眼鏡を偶然見つければ、もう一人の想われている親友は、遠い地で眼鏡を偶然見つけた親友の愛用するコートを見つける。お互いの記憶は都合よく、そして直前の日に交代するように遠い地へ訪れた話となる。それはお互いが相手への友情や愛情を強く同調した時に、相手に関係するものを見つけたいという気持ちがシンクロにより結果だけを体験させる。
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想い合う者同士が、いつも意識していれば、それが想像もしなかった場所で出会い、発見し、伝わる奇跡。目覚めていない者には、直前の記憶は、つじつまの合う記憶としてインストールされ、目覚めている者は、自分に備わる未知なる能力に酔う。
Rの鈴村が最後にANYへ命令した『全R人類へのシンクロ』は、すでに再会を諦めていた者は出会い、すでに生還を諦めていたものは助かり、すでに見つからない大事なものが見つかるという奇跡を運んだ。それは時には感動を呼び、時には悲しい結果にも繋がる。強く願う目的は、強く願えば達成できるという全ての可能性をモンストラス世界の全人類に備わせた。それはRの鈴村にとって、追悼の記念品を配るかのように。
Rの鈴村の真意がわからない町田。そしてモニターには、町田の目に映る桜の姿がある。
「Rの水谷桜か。桜ちゃんじゃぁ、Pパフォームには勝てないよ。逃げることしかできないだろうな。見届けるよ、ここで最後まで」
◆◆◆
19:19 モンストラス世界。精神病棟。地下二階。
「くぅ!!」
自由がきかないように垂れ下がった左腕。右手で拳銃を握りしめ、狙いながらも後退を続けるRの桜。地下二階の収容室の鉄格子は曲がり、白い壁や床は所々ひび割れ、砕けている。近づくことを避けるRの桜は完璧に拳銃で照準を合わせ、防ぎきれないという自信を持って田村へ発砲する。
【フェム-second-time+10(秒)-確認済】
それはRの桜が発砲する10秒前の田村の視界。目を使って見るものではない世界。Rの桜の影が見るR人類の認識色のように、Pパフォームには光を放つ認識できるラインが見える。そのラインは光り輝き、その光が強いほど、その波のように揺らぐ波長が緩やかなほど、田村を媒体として活動するPの『行動すれば良い方向』がわかる。それは常に10秒先を同時に観察している。
モンストラス世界はシンギュラリティ世界の操作により、近い未来へ進ませることができる。そして大きく影響のない数秒は過去へ戻ることもできる。それはレコーダーの早送りと巻き戻しを常に繰り返すように、パフォーム自身が災難に合わない運命となる道を選ぶ。どこにいれば自分が無事でいられるか。どこから攻めれば良い10秒先の運命が待っているか、それが見えている。
――当たらない!! 全然命中する気がしない!! なぜ!! どうして!! 何なのこいつらは!!
【シンクロ】
ほんの数歩の距離をシンクロで足元まで接近するP田村。田村が過去に災難が降りかかった右手の3度熱傷のただれ固まった腕がRの桜の左足を掴む。
――しまった!!
【EMP(電磁パルス)-放射】
放射される電磁波でんじは。それはRの機能停止に合わされた通常電流以上であるサージ電流。シンギュラリティ世界で作られたデータであるRの桜は、その一瞬触れられたサージ電流を流された瞬間、直前に同じ攻撃を受けた左腕同様に動かす事ができなくなる。その理由がわからず、拳銃を固く握った右手でP田村の頭を横から殴る。その暴力に悲鳴を上げたのはRの桜である。
「あああ!!」
痺れる右手、動かない左腕、動かない左足。距離を空けるために放った右手に流れる衝撃、それはPの田村に触れただけで自分に降りかかる。
全身が対R用に開発され、周波数をRの消滅に合わせたサージ電流を帯びたパフォームは、Rが触れることも許さなかった。