シンクロニシティ
震えているRの咲。それは影で眺めるRの桜からでも様子がわかった。膝と肘を床につけ、這いつくばりながら両指を絡めて自宅の床で震える咲。それはもう、誰にも関わりたくない構え。誰にも干渉されたくない願い。その震える咲の真横で笑みを浮かべる桜の影。撫でるように、それでいて触れない程度に髪から背中のラインに平行して影の手のひらを滑らし、いつでもその願いを断ち切れるかのように、握った両手の指の上で指を大きく広げて鷲掴みできるような構え。角度を変えて下から表情を眺めれば、瞑った目の周りのまつ毛は小さく光り、鼻や口に向かって滴っていた。
【あなたの知っている秘密はなんだ】
「キャー!! イヤー!!」
【あなたの知っている秘密はなんだ】
「いや……私は何も知らない……いや……イヤーーー!!!!」
【話せば……あなたは自由……】
咲は自宅に誰もいない事を確認しながら、それがこの部屋から聴こえるのに、その存在が見えないことから、いつ、また苦しめられるだろうという恐怖と、気を失いそうなほどの混乱は髪をかき乱し、耳をふさぐ。
四次元の声を伝える桜。支所の裏口から瞬間移動をせず、触れることもなく、言葉だけで目的の情報を手に入れたい桜。姿を見せれば更に混乱する可能性。情報と共に存在を抹消するには弱すぎる存在。情報次第では、生かせられ、存在を遠くへ置き去りにすることもできる。けれど、その状況を本体の鈴村に知られた時、Rの桜の裏切りが明らかになる可能性。万が一にも鈴村への言い訳を作れる可能性が、シンクロを利用した神の声だった。なるべく桜のような口調ではなく、女と思われない事を願いながら。
【あなたは大事な秘密を……ひとりで抱えすぎた】
「いや……いや」
【話せば……苦しみはもう無くなる】
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苦しみは終わらない。咲はそう思った。けれど、言わなければ、結局、苦しみは終わらない。誰も助けてはくれない。この世界では、もう味方はいない。視野は狭く、逃げられない距離からの見えない声。桜の仕業と思った。けれど、それさえもどうでもよかった。春日がいなくなってから、世界に味方はいないと心から思えたから。本体の鈴村の存在を前にした時からはっきりと理解できた。自分の知らないところで、違う世界があるのだろうと。それまでは、交際していた春日の残した言葉の真意が受け止められなかった。けれど、別の世界があると感じられた今、春日の残した言葉は、言葉通りであると理解できた。
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「ゲ……ゲームよ!!」
【ゲーム……どういうことだ】
「刈谷さんを殺した人が……殺した人が、運命の保有者っていう……」
【それは……誰もが想像できること。運命の保有者とは、どのようなものだ】
「わ、わからないわ!! ただ、刈谷さんを殺した人が……その、体に入れたキャリアっていう物質が手に入るって、そして、手に入れた人が、好きな世界に行けるって……残った世界は壊れる……それだけよ!! バカバカしい話よ!! こんなのゲームだわ!!」
【そうだ。世界はひとつでいい。そして、いらない世界は、無くなればいい……そのゲームに参加している者の名は誰だ】
「雄二が言っていた人は……和明以外には、マチダとカヤマって呼んでいたわ。雄二は、和明……管轄としての立場で人を殺す計画をしているという弱みを握ったと……」
【そこまで聴いていない。もうわかった……だから】
「桜さんでしょ? ねえ」
言葉につまる桜。『だから、もうおとなしくしていろ』という言葉を言い切れなかった。そして、桜ではないと否定すれば良いか。やはり咲の存在を遠くにするべきか。桜と知ることで、どのような不都合をぶつけてくるか静かに言葉を待った。罪悪感を持たない桜。心臓の鼓動も感じない。そして、その言葉に、影を遠ざけた。
「ねえ……お願い、殺して」
【もうすぐ……死ねるわ、きっと】
◆◆◆
18:46 シンギュラリティ世界。
ハイウェイスクーターに乗車している最中、ヘルメットのスピーカーから聴こえる声。それは直前まで鈴村が逃れようとしたファクターである春日の声。逃れられないと予告した春日の言葉。その言葉だけで、鈴村はこれより先に進むことが出来ず、逃げることの意味がどこまであるかわからない。それでも、この世界ではモンストラス世界のような能力は使用出来ないと考え、ヘルメットのトランシーバーへ周波数を合わせられて都市の監視カメラから常時監視しているものだと推測する。
【お前の作った世界は、俺の望むものには遠すぎるよ】
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春日が鈴村へ語る主観。それはモンストラス世界が春日にとって失敗作と思わせる言葉。それはANYの意思なのか、代弁者といて現れた存在なのか。すでに鈴村の存在をロックして言葉を投げている春日。目的地まで知られてしまっているのか、下手に進路変更をしてごまかすか、それでも鈴村からすれば、春日の意思ひとつで自分の行動を制限させられたくはなかった。
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【春日……お前は、何者だ】
【俺か? ひとつのゲームと、確実な真実を、もう一度知りたいだけだよ】
【真実? お前は何が知りたい】
【お前には想像の出来ない、光や次元を超えたものを、再び届けるためだよ。必要なものを、選んでもうためのね】
【光や次元を超えたもの? それは、情報のことか?】
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光を超える存在。それを聴いて鈴村に浮かぶもの。それは出来事や物事を伝える『情報』。情報とは、その情報を利用して、何かを判断するための材料。光を超える情報は、中身のわからない二つの箱の中にある、色の違う物体を確実に認識するようなもの。
二つの色、赤色と青色の物体を別々の箱に入れると、入れた者でなければ、どちらが赤色か、どちらが青色かわからない。箱に入れていない者に、箱を渡して、どちらかひとつの箱だけを持って、世界の反対側で開けた場合、それが赤色であったとき、その瞬間に、世界の反対側にあるもう一つの箱に入っている物体の色が青色であると理解できる情報。その理屈はどれだけ距離が離れていようと、遠い彼方の情報が手元に入るもの。光や次元を超えたものと耳にした鈴村が思う唯一の言葉は、『情報』であった。
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【さすがだよ鈴村! あはは! 良くわかっているじゃないか!】
【その情報をどこに届ける!】
【そうだなぁ~。とりあえず、お前はさっきの場所に入ってもらうよ】
鈴村を乗せるハイウェイスクーターの運転手は、聴こえていないその言葉と同時にサイドミラーを覗き込む。それはスクーターに負荷する重量の変化から。そして、サイドミラーの角度を変えて見えたのは乗客の足の数。誰かが突然乗り込んでいる。それは速度を落とす理由となり、停車した瞬間に振り向くと、ハイウェイスクーターには誰も乗客がいなくなっていた。
18:54 シンギュラリティ世界。本部管轄室。