シンクロニシティ
咲の目の前にいるのは、Rの鈴村に運ばれて、本部の病室で起き上がった春日。その後の道のりは、この春日にとって意識的な目的ではなかった。引き寄せられる感覚。終わりの見えない引力。その見えない終点に向かうために、進みたい道の障害を無事に乗り越えるために自然と歩んだ道。けれど、その道に立ちはだかった同じ姿の者。冷静ではなかった自分。飛び掛かる事しかできなかった体。そんな記憶はある。理由はわからない。何か大事な、忘れてはいけない記憶。それがなければ導かれない自分。感じるのは上半身の痛み。
目的は、場所なのか、人物なのか。
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「わかり……ません」
咲にとっては涙を流したい感情。けれど、何に涙を流せばいいのかわからないもどかしさ。小刻みに震える表情と気持ちを春日に伝えたい咲。どこに走ればいいのか。どこまで質問すればいいのか。
意識を失っていた時間は、咲にとってなにかを壊された落胆。それでも、記憶にない者でも、人間的に感情を読み取るクオリアは感じられた。
「かなしい……の……ですか?」
感情をくみ取った春日に、希望を感じた咲。理由を知りたい。そんな気持ちが湧き上がった時、冷静になった咲は、車の室内ライトをつけて春日に語る。
「あなた……雄二じゃないわ」
意識を確かにして春日を見る咲。
眉毛の伸び方。髪の長さ。装飾品。少しずつ近づいて、唯一感じられるのは、匂いの残った制服。
そのシャツの胸から見えた違和感は、ゆっくり広げるほどわかってきた大きな傷跡。
「新しい傷……それに縫合された跡。ねえ!! あなたはどこから来て、どこに行こうとしたの!?」
「この……まま、まっすぐ……なぜか……いきたいです……このまま」
◆◆◆
18:34 モンストラス世界、支所裏口。
Rの咲の言葉に、桜は復唱する。
「刈谷を……抹消?」
「雄二は言ってました。止めなければならないって! もしかして、やっぱり雄二は何かに巻き込まれたの!? あの人達に!!」
半年前。加藤達哉での爆発後、刈谷の存在を認識する唯一の存在である咲。貴重な情報は、人間の鈴村が探していたファクターのひとりであるRの鈴村の存在。
消息が見えなくなった春日。存在が認識されなくなった刈谷。咲からの貴重な情報。桜の知らない出来事に、複数と感じるファクターの特定される人物に、桜は息をのむ。
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咲からの情報。それは半年前、加藤達哉の館である現場に春日が遅刻をした理由は、想像をしなかった何者かとの接触。元々、本部の受付係をしていた咲。一年程前、Rの鈴村との破局をきっかけに退社したが、職員にも備わっている半年間の保護義務適用により、専任の研修として咲の担当にあてられていた。
Rの鈴村との破局のショックで、何度も自殺を図り、何度も春日に止められた。春日は、咲の一途さと、咲の心を支えるうちに、咲に恋をした。けれど、職務規約により、保護対象との恋愛を禁止している。
保護期間が終わり、春日は咲に好意と交際の告白をした。それは婚約を前提とした本気の告白。咲との半年間の保護交流により積み重ねた信頼。春日の真心に、咲も心を救われる。そして、交際を承諾したひと月後、春日は消息を絶った。それは咲の知らない加藤達哉の館で。
立ち直れない咲が必然的に行動した自害。それは半年前のデジャヴュの開始から、何度試みても、無意識に死ねない世界。次第にデータ劣化により目覚め、他人のデジャヴュを何度も体験し、写真立ての刈谷を見て、震えていた。自分は異常者になったと。
そんな精神状態で、春日が直前に教えてくれた者達には、立ち向かえなかった。誰にも言えなかった。
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「あの人達、と呼ばれる人の……名前は言ってましたか?」
「はい、その協力者を教えてくれました。雄二は言ってました。弱みを握ったと。私、怖くて」
「教えていただけますか」
「それは……怖いです」
「あそこに見える建物はわかりますか?」
「なんでしょうか……知りません」
「あそこには、この世で春日雄二と呼ばれている、刈谷恭介という人物が収容されている精神病棟です。刈谷を救えるのは、あなたしかいません」
「刈谷さんが……雄二。あの……会えますか?」
鈴村はうなずき、案内をしようとうながす。
後をついてくる桜に、鈴村は伝える。
「水谷……お前は今、刈谷をあそこに閉じ込めた張本人になっている。順番が代わったが、今は俺から慎重に話したい」
「わかりました。私も自殺を図った田村の様子を見るところでしたので、ここで失礼いたします」
鈴村と咲は、自殺未遂者が主に収容される精神病棟に向かう。その背中を見送る桜。
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桜は知りたかった。鈴村が追いつめたいファクター。咲が刈谷に会う理由は何か。Rの春日からの警告か、それとも、鈴村と桜の言葉の裏付けか。刈谷が咲から得る情報は、自分にとって不利益にならないか。
桜自身、一番求めているものは、自分の存在意義か、人間の肉体か、神の力か。それとも、『鈴村に伝えていない』シンギュラリティ世界で聞いた、春日の目的と、別の存在者か。
咲に伝わった、Rの春日からの情報は、桜を不安にした。その不安は、追いかけずにはいられなかった。
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Rの桜は追い始めた。別の次元から、自分だけの世界から。鈴村から見えない影の世界で鈴村のそばを歩く。鈴村から見えない世界で監視する。桜から見える世界は、赤の鈴村と、斑の咲。二人の姿を中心に、モノクロに映し出される周辺の草花、建造物、風景。
二人の跡をつけることが可能だと感じた理由。桜は思い出した。咲の家から、鈴村の目の前にシンクロするとき、自分だけの世界で赤い鈴村の姿を発見して、自分と咲の斑に映る影で鈴村の前に立つイメージを集中したとき、鈴村がジッポで葉巻に火を付ける『音』がした。その場にいなくても、自分の影を近づけられれば聞こえると。
精神病棟に向かって歩く赤と斑の二人。その二人の後ろに、一緒に歩く斑の桜。
モンストラス世界において、唯一『四次元空間』を歩ける桜。真後ろの斑の影は、その場にいるように声を拾う。その『四次元の声』は、こもるように響くが、理解できる程度には聞こえた。
『ほかの 収容者の 声は 無視して くだ さい』
『はい わかり ました』
『刈谷 に 会ったら 何が 聞きたい ですか』
『伝え たい だけで す。狙う 者と 狙われ る 理由。運命の 保有者 である「キャリア」 という 存在 を』
『キャ リ ア?』
――キャリア……言葉遊びなの? 保有者はキャリア、別の発音でキャリヤ、カリヤ?
桜だけでなく、簡単に連想できる名前。聞き間違いでも起こり得るほど似た名前。故意か、遊び心か、悪意の誘導か。