シンクロニシティ
「いま、モンストラス世界のR人類が発展するために最低必要な人口密度の限界がきた。モンストラス世界にもたらしたフェムと呼ばれる超自然現象の力を暴走させないためにも、作戦開始後ANYはこの世に死者を出さない。Rが死を認識した瞬間に、その出来事が無かったかの様に自動更新されるだろう……そのほかでこの世界で強制的にRの更新をする時は、基本そのRを消すか壊す時だ」
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桜は鈴村の言葉を聞きながらも自問自答する。それは今まで『LIFE YOUR SAFE』でのシミュレーションにより何度もRと同様のデータと銃撃、格闘などの実戦に限りなく近い『死なない』戦いは繰り返してきた。けれどもそれは歴史を積み重ねたRでも自分でもなかった。胸の鼓動は穏やかではない。いつもの平和な日常でもない。その重みを仕事と割り切り、義務や責任感という形にするには時間も掛かるが、心で決めたことを静かに言葉に出すだけだった。納得するために。刈谷の任務も理解するために。
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「承知しました……ところで刈谷の重責とはどんなものでしょうか」
「ファクターとの接触だ」
「ファクター?」
「人間とR……気質の違うところはない。だが平和なシンギュラリティ世界で脅威となる行動を取る者は、なかなか目につかない。一般人は簡単に目に付くが『LIFE YOUR SAFE』の職員の中では巧妙だ。世界を護る機関、そしてシンギュラリティ世界のANYを護る、『LIFE YOUR SAFE』本部に近い者の存在で間違いが起きてはならない。その「不安因子人物」である「ファクター」を特定する事が目的だ。悪意のある人間は、不安定なこのモンストラス世界でこそ行動が目立つものだ」
「では何故、刈谷が選ばれたのですか?」
「刈谷の身体能力、判断力、生活環境による精神面。一番落ち着いた人物像であり、危険を回避出来るとANYは判断した。つまり刈谷は、職員含め、一番正義感の強い人間と言う事だ。そういう人間は身近にいるファクターの者と必ず揉める。その自然な形で揉めた相手をマークする。無理矢理ではあったが、この内容を知ってしまうとファクターに感づかれる可能性がある。お前達の未来のためだ。自分の働きで運命を決められる仕事は、そうそうないぞ」
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ファクター。不安である要因、要素である不安因子をひと言で用いた言葉。それはどのような根拠で探し始めたのか。それとも、まだ見ぬファクターの恐れを回避するための備えであるのか。シンギュラリティ世界であればわからない存在でも、同じ性質を持つRであれば、その心に潜むファクターとなる者が見つかるかもしれないという大胆な探し方。そしてその事を刈谷自身が知らずに生活していくという不確かな環境ではたして見つかるものなのかと桜は考えたくなる。どのようにして監視していくのか、どのようにしてRからファクターと判断するのか。
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「わかりました……あと一つ、何故ファクターが存在すると思ったのですか?」
「俺のRからの情報だ」
「管轄のR……何故Rがそんな事を」
「モンストラス世界の者で、シンギュラリティ世界を知っていて、世界を脅かすようなことを言われたと聞いた。ファクターの一人なのかもしれない。俺は、モンストラス世界とシンギュラリティ世界を行き来する。両方の世界を監視しRと情報を共有する。それぞれの目で感じた違和感や不安要素を俺からANYに伝え分析する。このモンストラス世界はシンギュラリティ世界の中で管理され、自然に膨張する重力の引力を無理に締め付けすぎず広げすぎないように、そしてモンストラス世界を囲む壁に穴を空けないように要管理されている。その最重要管理室に今回、侵入者の形跡があった。それがどれだけ危険な事かはわかるな?」
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職員のRがあるのであれば、鈴村のRがあるのも必然的であった。同じ組織がモンストラス世界にあるのであれば、その組織を取り仕切る者は大抵シンギュラリティ世界と同じ、又は同等の者に任せることが安心であった。桜や刈谷などの役職者であっても、自分のRがモンストラス世界にいることは知っているが、どのような生活をしているかはわからない。そしてRと交流する人間がいること自体は冗談話以外は噂話にもならないことであった。
桜にとって鈴村の分身であるRが本体に対して物申すことが想像しづらかったが、鈴村の二度聞きが必要ないほどの詳しい説明に納得は早かった。
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「はい……万一穴が空いた場合、星の中でモンストラス世界の重力を保つ自然現象が膨張……シンギュラリティ世界は恐らく……」
「そうだ。消滅する。モンストラス世界では自分のいる星と見せられている宇宙が唯一と思われなければならない。この星でおこりえる『意味のあるように見える偶然や現象』は、全てシンギュラリティ世界からの影響を受けた「synchronicityシンクロニシティ」であり、その存在に気付いてはならない」
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シンギュラリティ世界からの影響。それはデータであるがゆえの劣化現象により様々なつじつまの合わない現象がおきる。認識する人間が別の人間に置き換わることもそのひとつであり、モンストラス世界が形ある惑星であること以外は、昨日まで当たり前のことが、今日は違い、それを認識するRもいない。劣化現象である自殺の多発が起きるまでは。
桜に今できること。それはいつもシンギュラリティ世界のシミュレーションで戦っているRと同じ『人間でない別のもの』という認識を強めることしかできない。そして、断ることは考えていなかった。
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「理由はわかりました……Rはいつ到着する予定ですか?」
「予定では12:00に到着する。今は10:34……心構えをしてお……」
鈴村は言葉を止めた。そして辺りを見回す。天井にぶら下がる大きく装飾に飾られた黒くくすんだシャンデリア。鈴村は眉間にシワを寄せ、ゆっくり立ち上がる。
桜にしてみれば、何に気を取られていたのかは理解できない。目の前にいた桜を中心に目線を左右上方に見上げ、明らかに何かを眺めている鈴村。それが共感覚現象である黒と緑が混ざったような音が、窓から流れてきてシャンデリアの細かい反射として映し出されている景色だとはとても考えられなかった。
「どう致しました?」
「どうやらファクターは……俺達の先手を打っているようだ。心構えはすぐに終わらせてくれ」
顔つきが変わる鈴村。それは桜から見て警戒ととれる表情。何をどう判断した結論であるのか、それがどれだけの危険性があるのか。
鈴村の言葉に無言で立ちすくむ桜は、風が窓に押し付ける風圧のきしみと、馴染みのない鳥の鳴き声、それ以外何も気配に気づかなかった。この古い館が、大きく開かれた扉の勢いに、手応えを感じる壁からの跳ね返る音が聞こえてくるまで。硬い、とても硬い足音を桜の耳に届けて、鈴村の目には共感覚が映し出す。
「水谷」
「はい」
「死ぬなよ」