シンクロニシティ
踏みしめるように階段をのぼる。気配は、段数や音が消えた位置を想像すると三階まで上がったと考えた。それでも油断をしないように、見えてくる二階に意識を集中し、どの角度からきても対応できるように力を抜きながら身構え、二階まで上がった。
加藤と掛け声を上げていいものか、全く違う生き物であった場合、危険性が高まるか。加藤であると確信があっても声を出せない鈴村。それだけ上階に上がる気配は異様だと想像できた。
それならば想像に足りることだろう。きっとここにいるのは、モンストラス世界の生き物であると。シンギュラリティ世界より、神のように眺めてきたモンストラス世界の地獄絵図。その一端がここにいると。
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鈴村の約一時間以内を一部振り返ると、必要に迫られた任務を刈谷に尋ねる。
「加藤に今後の監視を付けるため、ANYの人選でお前よりあとに選ばれた補佐がいち早くこの館に確認にきたようだが、残念な結果だ。刈谷、春日のあとを引き継がないか?」
「それは……すいません。妻のそばにいてあげたいんです」
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桜のそば、それには理由があった。
初めて刈谷と桜が出会った工場の事故以降、桜は時折、動悸や呼吸困難、手足のしびれや痙攣が突然起きるようになった。狭い空間で押しつぶされる恐怖、現れる見込みのない助けへの叫び、刈谷によって発見されるまでに、桜はその恐怖を心に刷り込んでいた。
それからの桜は、可能性のある場所、似たような空間、狭い空気感と感じた瞬間、自分では抑えきれない症状に振り回されるようになった。周りに悟られてはいけない。職務不能の扱いはされたくない。そう思った桜はプロテクトルームを必要以上に行うようになった。
プロテクトルームで主に行っていたプログラム。銃撃戦。それは初めて味わった恐怖の出来事から、自分を追い込むことにより、恐怖に打ち勝つという荒療治。桜にはそれしか思いつかなかった。それを眺めていた刈谷。そして刈谷のそばにいるときには、桜の症状が現れることがほとんどなかった。刈谷は桜より一年遅く入所した経験を埋めるように、桜のそばにいられるように、役職を近づかせ、刈谷自身が所内で自由が利くように、仕事に励んだ。それが一番、桜のそばにいられると強く思っていた。
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「本部にくれば、もっと家族を護れる存在になれるぞ?」
「地位や名誉じゃあ……そばにいる事とは違うと思ってますので」
鈴村から目を離して話していた刈谷は、言い切る直前、鈴村の反応をうかがうように、真っ直ぐ目を合わし、それは懇願するようでもあり、信念とも感じられる決意。言葉で押し切れる様子にも見えない。そう判断したであろう鈴村は、それ以上の問答をしようとはしなかった。
「そうか、わかった。半隔離にするため、この地下に加藤の部屋の物を全部移せ。点滴で栄養を与えれば無意識に暴れたりはしない」
「わかりましたぁ!! すいません……部屋はどこですか?」
「三階だ。あえて自分が簡単に降りられない為に、人を近付けない為に加藤がとった手段だろう」
「わかりました!! 急ぎます!!」
管轄である鈴村に、願いを聞き入れられた喜びと、物分かりの良い上官への安堵感から、刈谷は声に張りを戻し、活力的に三階に上がり、ベッドを手早く分解して運んだり、二層式冷蔵庫をかついで降ろしたり、重労働ではあったが、ものの20分程度で地下に加藤の部屋を完成させていく。時折、中々館に現れない桜のことを考えながら、心配と愚痴をこぼしていた。
――ハァ! ハァ! 桜は! 大丈夫かな……ハァ! どこまで着陸させに行ったんだ!? ハァ!
鈴村は加藤の血をきれいに拭い、かついで地下に運ぶ。作務衣を着せ替え、刈谷が運んできた機材を用い、体に心電図、点滴など的確に処置をする。そして刈谷の作業が間もなく終わると考えられる時間を計るように、その後建物から出て、外観を眺めながら携帯電話で連絡をしている。
「ハァ! ハァ! 管轄! 終わりました!」
「そうか……すぐ向かう。加藤の様子を今一度確認して来てくれ」
「はい!」
携帯電話のマイクを簡単に押さえながら刈谷に指示を与える鈴村。刈谷が館に入ることを確認しながら、ひと言「実行する」とつぶやき、会話を終わらせる。
鈴村が携帯電話で会話を終わらせて、ゆっくりと館の玄関に近づき、ふと、足を止めて三階の窓を眺める。窓からカーテンが風に触れて、時折揺ら揺らと生地が外にはみ出す。それを見る鈴村は、まるで何かを思い出しているように。
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刈谷が館に現れる少し前、加藤と思われる三階の気配を追って二階から三階へ。
一階のらせん階段中央から真上を見上げれば三階の天井に確認できる古びたシャンデリア。一階からでも、黒ずみ、欠けている部分があることが確認できる。今は二階から三階の踊り場。目の前で確認できることは、揺れていること。
どこの窓が開いているのか、それは三階の開いたドアからの風であろう。ならば三階の一つしかない部屋の中の窓が開いているのであろうと想像できる。
鈴村は突然三階に向かって走り出した。それは時間に猶予を持てないと判断した刹那。もしも、加藤が三階より逃げていたら。最悪、三階より自害を図ったら。そのような要素を感じさせるシャンデリアの揺れは、鈴村を走らせた。麻酔銃を握り、少し手前に開いたドアを足で強引に開きながら部屋の中に向かって麻酔銃を構えた。
鈴村が見たもの。そこには、加藤が主に生活空間として使用していたと思われる設備された空間である。簡素ではあるが、電動式に上半身が起き上がるリクライニングベッド、壁に並んだ本棚の書籍をゆっくりと眺められそうなロッキングチェア、二層冷蔵庫、そして高齢であるがゆえ、心電図と点滴スタンドが配置されていた。そこには加藤の姿がない。ベッドの横から眺められる窓は、想像通り窓が開いており、カーテンの生地が外に引っ張られていた。やはり外に飛び出したかと窓に近づこうとした鈴村。
カーテンの向きが変わり、生地が揺らいで、外の景色が見えると思った。しかし、その揺らぎの先に見えたのは加藤。震えているのか、痙攣なのか、何かを振り絞っているのか。だが、口から下に広がる血と思わせる残酷な様相と、意識はしっかり感じられる、鈴村を静かに見る目は様相とのギャップを感じた。その姿を見て、鈴村は確信した。これがモンストラス世界の住人である証拠だということを。そして加藤は言った。「これ が……フェム の 力 だ」と。そしてもうひと言、「今の わし には、空 に浮か ぶ 程度しか できん」と。その時、刈谷と桜が同乗する、ヘリコプターの音が響き始めた。音の方向にゆっくり振り向く加藤の隙を狙い、鈴村は麻酔銃を放った。
カーテンの生地が邪魔でもなかった。風が邪魔でもなかった。まるで、カーテンのように、風に吹かれたかのように。加藤の体が薬弾から揺らりと逃げた。