シンクロニシティ
それでも鈴村は田村に対して思った。その常人を超えた運動神経に。
――こいつ……普通の肉体でこの反射神経……だが、今がmonstrous時代なら、通用しない
鈴村は大きく避けながら、一撃、田村の腹部を蹴り、壁に叩き付けた。その重い一撃は田村の体の痛みより、野望に生きた心の筋肉までも貧弱とした。
「がぁ! う゛がぁ! ご、ごの化け物があ゛!!」
「刈谷!」
「え!?」
田村の戦闘不能の様子を見て、鈴村は刈谷に向かって収容室の鍵を投げる。刈谷にとっては、やはり先ほどまでのデジャヴュ現象を含め、全ての事を把握しているのではないかと想像させる行動。口に出さなくても理解できるほど綺麗にこの場を制圧した。
田村についていた無事な職員は一人。その短時間の出来事に硬直し、鈴村の言葉か行動を冷や汗をかきながら待つ。
その中で一番声を掛けるのが自然だったのは刈谷だけだった。
「か、管轄!」
「お前は身元だけ自分に戻れれば問題ないのだろう? 戻してやる……そして今日からお前がこの支所のチーフだ」
鈴村による突然の昇格。簡単に戻すと言われる身元。この全ての現象は、人為的に行われたものだったのかと感じさせる発言。
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何をどうすれば人の記憶や認識を操作できるのか。全く背景が想像できないなかでも、明らかに存在しているのではないかと思わせる名称はシンギュラリティ世界。それがこの世界で、自殺者が求めていた新天地なのか。加藤の言っていたレミングとなって死の先にある世界を信じて向かっていたのか。けれど、刈谷にとって、その世界は興味以上の魅力を感じていなかった。今の世界で満足だった。その満足の世界で刈谷が気になったのは、桜の立場だった。
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「管轄、けれど……それでは水谷チーフが」
刈谷は鍵を開錠し、桜の安否を気にする。そして桜は鈴村により猿ぐつわを外される。その雰囲気は、特に苛立ちも緊張もなく、とても落ち着いた雰囲気。腕をかすめた銃撃に多少の歪ませる表情をするが、刈谷に対しての鈴村の昇格には何も嫌悪感を見せない。そして刈谷が鈴村に対する進言に、鈴村の代わりに答えるように話す内容は、ひとつの愛情さえも感じた。
「いいの……あなたが無事であるなら。私は春日が死んだのを確認した時に芝居をした。あなたが春日であることに否定を続けると、壊されてしまう可能性を感じたから」
「水谷。余計な事はしない事だ! だがお前は賢い女だ……二度同じ事はしないだろう。お前にはこの支所の所長に任命する!! 町田は本部への転属。事実上の昇格だ。皆でここの秩序を護ってくれ。田村は職員のマインドコントロールによる職務妨害により警察に連行! その他共謀した職員は追って処分を下す! 以上だ!!」
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桜の心配した『壊される可能性』。それは刈谷に愛を語った別の桜と同じ表現。刈谷自身、全く自分が知らなかった世界の存在を認めるような言葉が自然と行き交うこの場所で、誰に語る事も出来ない実感を味わう。
まだわからない春日の存在や、その婚約者。尋ねたいことは沢山あったが、鈴村のこれ以上ない寛容で申し分のない采配に、言葉を発する事が出来なかった。
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18:51 その静まった空間。最初に言葉を発したのは田村だった。
「はぁ……はぁ……こんな茶番……俺がリセットしてやる!! ハハハハハ!! もう失敗はしねえ! あばよ」
田村は倒れたままの状態で右手をジャケットの内側にもぐらせる。その瞬間に慌てた表情をしたのは桜と刈谷。田村が発言した内容通り、今考えられる事はこの事態をなかった事にすること。全ての証拠はなくなり、身を隠す可能性もある。田村は小銃をジャケットの内側から取り出すと、すぐに自分の頭に突き付け、まるで命が救われる為に安堵するかのような笑顔を浮かべながら自害を選ぶ。そして引き金を引いた。
「くっ!! 田村!!」
――また戻るのかぁ!?
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桜と刈谷は発砲を防ごうと動き始めるが、一瞬の出来事に対処が間に合わない。鈴村は静かな眼差しで田村を見る。
今日何度も響き渡った地下二階の階層。また再び時間がさかのぼったであろうと予想した刈谷。それは桜にとっても同じ主観だったかもしれない。
気密性の高い地下で響く銃撃音。目をつむる刈谷。再びゆっくり目を開いたときに見える光景。
刈谷が収容された部屋の前には、刈谷、桜、鈴村、そして田村。自らの頭を吹き飛ばしても、まだ笑みはなくなっていなかった。まるで田村には、新しい世界が見えているかのように。
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「どういう事だ? 戻らない……管轄、これは」
「田村はこの世の歯車から外された。誰にも、田村を落ち着かせる場所が見当たらなかったんだろう……タイミングでもあるのかもな」
はっきりとは答えない鈴村。その答えがわかるのか、わからないのか。
そこには不死現象と呼ばれる世界となって初めての、頭から血を流した動かぬ存在を目の当たりにする。
「管轄……春日の婚約者は」
「壊されてなければ、どこかにいるだろう……大丈夫だ。もし消えたとしても、消えたのはRであり、本体は生きているはずだ」
一見冷たさでも感じさせる鈴村。刈谷にとって、この世界が生きてきた人間の姿。消えた人間が人間と思われない倫理観の薄さは別の視線でみている景色なのか。婚約者と現れたときの印象とはまた違う雰囲気が感じられる。これが以前から町田から聞いていた鈴村の雰囲気なのかとも思った。
刈谷にはいくつも疑問はあったが、それらをひっくるめて尋ねたい事は一つだった。
「この世界は……造られた世界なんですか?」
刈谷のその質問は、全てを納得できる言葉だった。組織のトップである鈴村から聞く事ができれば、それは大きな説得力でもあり、納得でもあり、別の世界の『何か』であることを理解しながら生活する覚悟でもあった。
「この世界の住人である限り気にする事はない。余計な詮索は本体ごと消えるぞ。ここは戦争の頃から呼ばれ始めたモンストラス世界という地球。事の大きさで勝手に呼ばれてきたが、そのうち……いや、とにかく今の秩序を保ってくれ」
「え……はぃ! 職務は全うします!」
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それはほぼ、納得としていい答え。刈谷にとってはこの世界で満足できていた。けれど鈴村の立場的には、どこまで刈谷が別の世界への興味があるのかはわからず、場合によっては不安な材料となる。場合とはつまり、深く知る事。それは目の前で倒れている田村の運命を辿る可能性。この出来事を知る人物は、鈴村にとって役職的にも近い存在の方が良いともとらえられた。
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「水谷、次するべき事はわかっているな? 後の事は任せる」
「はい、承知してます。お任せ下さい」
鈴村は桜と目を合わせ、軽く笑みを浮かべ振り返り、その場を去る。