シンクロニシティ
【マインドコントロール】 狼に成りたい羊たちは盲目の暴力
18:44
――駄目だ! やはりむやみに死を繰り返すと、あいつの二の舞だ!
刈谷はおぞましい世界観に襲われた。自分の事を忘れただけでなく、全てが未知のものを見る下村の様子。異常なまでの未視感。
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何が悪かったのかと。繰り返し過ぎて、単に頭に異常が起こっただけかと。それなら自分もいずれそうなると。だが、もしそうでなく、下村が言っていたような、本人だけ、つじつまが合わなくなる違和感な世界。下村が過去に戻る事によって、噛み合わない未来。本人だけがもつ違和感。世界の歯車を合わすなら、本人を壊すものかと。
そこまで思考が進むにつれて、更に感じる違和感。『誰が』そんな面倒な事をするのかと。噛み合わない事イコール頭を壊すような発想。まるで人為的、いや、機械的な発想。
自分達はバグなのか、欠陥品なのか、ウイルスなのか、それを発見して機能停止させられているのか、加藤の言ってたフェムが原因かと。
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――はは! 馬鹿らしい! 考え過ぎだ! 大体、加藤の館のところから話からおかしくなったんだ!
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刈谷は加藤の言葉を否定したい。新天地。レミング。それなら加藤は、その新天地に旅立ったのかと。それならどうやって。
再び、刹那刹那に思い出す事は、刈谷を後ろから銃撃した者は誰か。そして桜はどうして刈谷をこのような目に遭わせたか。半年前からずっとそのような目で、そのような手回しで、職員全てから見られてたという盲目な自分。誰が悪いわけでもなく、自分が刈谷と言い張ったから、仕方なく、混乱を避けるために刈谷でいさせた人情か。まるで自分が回りの人間を振り回して混乱させただけの迷惑な存在だったのか。それが真実なら、今、自分の名前が認識されないという考えは、やはり自分が作り出した妄想か。下村も含めて、自分がおかしくなって、自分が刈谷だと思い込んでいるだけではないのか。不安がよぎった。
それでも可能性が感じられたのは加藤の言葉。自分がおかしくなってないと思えるのは、リアルに脳裏に残る加藤の言葉。それをどこかで確認するまでは、自分を疑いたくなかった。
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思考を巡らす最中、刈谷の嗅覚に何か感じるものがある。
階層は部屋ごとに空調を調節できず、守衛室によって操作されている。収容室には空気を送り込む菅であるダクトは繋がっておらず、廊下の天井裏に巡らされている。その循環する空気に漂う危険度の低い嗜好風な香り。
――なんだ? この匂い……どこかで嗅いだ気が……甘い……葉巻? そして景色……黄色が濃く感じる
18:46 守衛室前の扉が開く音がする。一人ではない足音。最後の角で足音が一つに。刈谷に真っ直ぐ向かってくる男。管轄の鈴村。直前までくわえていた葉巻の香りが染み込んだスーツ。
意味不明な共感覚の出現より、昨日まで面識のなかったその存在感。職員に囲まれた時に、簡単に自分を鎮圧させられてしまう手練れた身体能力。刈谷は息を飲む。
「刈谷恭介……でいいのかな」
「あんたぁ、さっきの……本部の人間、ですかぁ?」
「肩書を取った話をしたい。私の名は鈴村和明」
一瞬で納得した刈谷。それだけ雲の上の存在に感じる相手。本部から一番近い支所に配属されている刈谷。それでも世界の支所を束ねる頂点が、心神喪失したと思われている専任に、直接面会にくる異例。
刈谷は少し慌てて、姿勢を正し、腕を後ろに組む。
「失礼しました!! 管轄!!」
「いや、楽にしてほしい。さっき言った通り、肩書を気にせず話をしたい。手荒な事をした。悪かったな。あの場を収めるためだ」
「あ、あの、いやぁ……謝らないで下さい! それは頭冷えて理解してます……えと、どんな御用ですか?」
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想像していたより柔らかい口調。以前町田より聞いていた特徴と違う雰囲気。それは油断を見せられない完璧主義で真実と自己愛が強く、失敗と言い訳を必要としない緊張感だと聞いていた。
刈谷にとって、そのイメージは拭えなかったが、今の自分に、そこまで型にはまった言葉づかいをすることは似合わない場所に留置されていると感じ、自分の思う言葉を返した。
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「町田との会話をボイスレコーダーで聴いた。お前は正直どう思う? この世界」
「あのぉ、自分は取り調べの時と所長に話した通りですがぁ……強いて一言で言うなら、造られた世界、という印象です」
「そうか、お前はどうしたい? もしこの世がお前の言う世界であったなら……抜け出したいか?」
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刈谷にとって、思いもよらない鈴村の言葉。まるでこの世の不可思議を容認する会話。自分の精神を分析されているのか、何を聞きたいのか。言葉を間違えれば、解放まで時間が掛かる地下三階に収容されてしまうのか。色々な雑念が刈谷によぎる。しかし刈谷にとって、組織のトップに直談判できる貴重な今、考えを曲げたり、綺麗ごとを並べることは、後悔に繋がると感じた。
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「難しい質問ですねぇ……けれど、今自分が不自由しているのは……自分の『身元』であって、それ以外は都合悪くありませんがぁ」
「そうか……逢わせたい人がいる。今あの角に隠れている女性だ」
「誰……ですか?」
鈴村の手招きにより刈谷に近付く女性。過去の面識は感じない。部屋着に似合いそうなゆったりとしたワンピースは、まるで自宅からの距離を感じない気軽さに、長さを切りそろえたワンレングスの髪型が似合う綺麗な顔立ちだが、口角の下がった印象に暗い表情を感じさせる。
「初めまして……私は」
「あ、自分の名前は明かさないでいいですよ。彼は一応拘留中の身ですので。明確な個人情報以外、必要な事だけおっしゃって下さい」
「はい、私は……春日雄二の婚約者です」
「春日の!! どおりで! 俺の記憶じゃ春日は婚約指輪をしてた! じゃあ! いや、どうぞ」
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刈谷の潔白に繋がる初めての証人。自分の存在否定する必要がなくなったと感じる刈谷。それは同時に、刈谷の目の前にいる女性にとっても同じことが言えるのではないかと。言葉を進めたいと気持ちが高ぶり、少し興奮した刈谷であったが、今大事なのは、目の前の女性の一言一言。刈谷は質問攻めしたい気持ちを抑え、自分を落ち着かせる。
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「あなたも春日雄二らしいですね」
「いやぁ、まわりの記憶や会社のデータはそうだけど……俺は刈谷恭介なんだょ。管轄! 俺が春日じゃない裏付けの証人ですね!」
「二人の会話だけを見てるとな……だが彼女は、自殺未遂者だ。精神疾患を追求されたら、心を保てるかどうか」
刈谷の前に現れた初めての証人。けれど、その背景にある、この世からの逃亡。それは下村の件で味わった苦い気分。