シンクロニシティ
【共感覚】 踊る色は次元を超えたクオリア
――なんだ……この妙な『感じ』は……この部屋も暫く使われた形跡はないな。時間がないなら……触れた形跡の薄い、ほこりが被ったドアノブは避けるか
玄関より右手づたいに部屋を確認する桜。
洗面所。浴槽。特に荒らされた形跡はなかったが、洗面所には油の光沢ではない水滴の付着から、数時間以内に使用した痕跡を確認できた。
玄関まで一周した桜は、目の前の階段を少し足早に上がり始める。二階に向かう桜。そして桜は再度違和感を感じる。
――この空気感……目に何かが霞むような妙な『感覚』。ガソリンの影響か?
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感じる。それは知覚をもつ生き物が感じる主観感覚。『晴れた青々とした空のあの感じ』『美味しそうなりんごの赤い感じ』『赤を見て、青でも緑でもなく、赤と認識する感覚』。その感覚質『クオリア』に違和感、異常さを強く感じる。
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目に霞むものはなにか。足を踏み込むたびに感じるなにか。桜は二階に上がっても感じる。刈谷の気配にも目にさわるなにか。
そして刈谷は三階のドアの前。気配のあった部屋に入ろうとする。
――中に誰かいる場合、手に発火物があった時、その瞬間、俺は止められるか? 入った途端、一息に抑えこまなければ
ひと部屋しかない三階のドアの前。床や階段に撒かれたガソリン。そのドアの前には、ガソリンを踏んだ事によって床に付いた足跡。それは部屋に入った形跡のみで出ていない。
外から感じた気配の人間がここにいると確信する刈谷。鍵が掛かっているのも確認しない勢いでドアを開く。木製の響きやすいドアが壁にあたる音と共に声を上げそうになった。なにかを掴みそうになった。
刈谷はそこに見えた、掴みどころのないクオリアに唾を飲む。
「俺は……何を見てる!?」
刈谷の目には『色』が見えている。その色は窓が風により閉まる瞬間、窓から現れ、漂い、細くなり、消える。まるで煙に色が付いたように。左側に感じて振り向けば、ドアが壁にあたった衝撃からも茶色い色が。景色が全ていつも見るものとは違った世界に感じる。そして自分の発した言葉の色にも。
――色? だと? 俺の言葉は……グレー……窓からは青? いや、水色か? あ! 後ろから流れる色……何度も小さな……「紫」
刈谷は振り向く。そこにはまばたきをしない目を見開いた表情を浮かべる桜が立っていた。
紫は、駆け上がった桜の足音。そして同じように色が見えている様子に、刈谷は自分だけではないと安堵感を感じた。
「チーフぅ……見えてますよねぇ」
「こ、これって」
青の言葉を吐きながら、桜は刈谷の言葉を待つ。
質問に似た桜の言葉に、刈谷は何かを思い出すしぐさのように指先で自分の頭を細かく何度もあてる。
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刈谷は本を読む習慣があった。
保護の対象が年配者であることが多かった刈谷。軽い口調で余裕を見せたような、年配者をうやまわない態度も多いが、専任としての役職は、顧客の体調や持病などの症状を調べたり、知識を備えたりしていることが、仕事上、役に立つ事が多かった。
その経験の中で、以前に専任顧客が、似たようなイメージを持っていたという記憶を呼びおこした。その顧客に近づくと、声を掛ける前に背中越しに名前を呼ばれ、車が多数行き交う道路沿いの家でも待ち受ける配達物が届く直前に代金とサインの用意が無駄なく出来る光景。時間を知っていたのかと尋ねると、『あの配達車は太いピンク色でわかりやすいんだ』と。
その意味がこの現象かと思うと、ひとつの言葉が浮かんだ。
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「共感覚きょうかんかく……っていうんですかねぇ。知ってますかぁ? 見る景色がほとんどの人と違う感覚……らしいですけど、何で突然」
「共……感覚。何故こんなものが見える」
桜は自分の吐く色に手をかざし、つかめず、触れず、すぐに薄くなり消える認識に、視界を広げれば、窓から部屋に入ってきた風は、部屋全体にオーロラを見ているような光景。普段感じた事のないクオリアを視覚的に感じ取った。それが三階に近づくにしたがって強く感じた事にも。
不思議な感覚を目の当たりにした桜に便乗して、刈谷は自分自身の不可思議な出来事を進言する。
「チーフぅ……俺にはぁ! 既におかしい出来事が起きてますよぉ!? 俺は春日じゃない! 刈谷です!」
刈谷のグレーな言葉に桜は困惑も交じり、言葉が出ない。
耳を貸してほしい気分の刈谷。柔軟に、半分でも可能性を感じてほしいと思う刈谷。
返事をしない桜にふと、時間の限りを思い出した刈谷は腕時計を確認して、進まない会話を切り替える。
「マズイですねぇ。誰も見つからない。あと、2分です……あ!! チーフ! 後ろを見てください!」
そこにはとても小さく、すぐに消えてしまう赤い色が二階の方から漂っている。おそらく絶え間なく漂っていた気配がするほどそれは小刻みに、一定感覚に感じる。三階に上がり、はっきり認識したことによって気づけた色。自然に目に映る色に比べて、それは明らかなリズムで漂っていた。
「ん! 下だ! か……春日! 行くぞ!」
「まだ春日って」――くそ! 春日はどこだ?
駆け降りる度に二人の足音から弾ける紫色。
理由と色を追い掛ける二人。それは桜が既に調べた一階まで戻る。
階段の横をなでるように上がってくる赤。推測できる空間。
その人物に悪意や自殺願望があれば、いつ爆発してもおかしくないほど自分たちの気配を消さない二人。時間がなければ外に避難するだけの切迫であった。
「あ! 階段……の裏!? チーフ! 地下です!」
「駄目だ! お前の言う通りなら、もう間に合わない!」
「チーフ! 外に出て下さい! 俺は一目確認します!」
「何言ってる! 見た瞬間終わりよ!!」
「チーフ、むしろ爆発を起こすには、玄関付近で何か発火されないと大きな爆発にはなりません。それなら怪しい人物が現れないか、外から監視してほしいです。俺はここに誰かいる確信があります。それに地上で爆発しても、ここが無事なら巻き込まれませんから大丈夫です! どうか外をお願いします!」
階段裏の床をよく眺めると、床をスライドさせてあける、広い引き戸の手前に何度も往復したと思える足跡。違う大きさの足跡は、顧客以外の第三者を想像することができる。
仮に爆発がおきても、爆発より低い位置にいれば被害最小限であることと、刈谷の自信を持ったような表情に、桜は後ずさる。
「わかったわ、外を警戒する!! そして応援を呼ぶわ!」
「はい、そうしてください! ……さて、何がでてくる」
赤く浮き上がる地下室への引き戸は取っ手がついている。すでに誰かいるなら気づかれていると思い、刈谷は一気に引き戸を開く。
「こ、この音は」