水仙
「洋くんはお母さんが死にはってお婆さんに育てられたやろ、うちと良う似てるんや。うちはお父さんが亡くなってお母さんが家を出てもうたから、お婆さんに育てられたんや。そのお婆さんも小学校の時に死んでもうた。洋くんと一緒や。」
「そやけど、洋くんはお父さんやお兄さんがおってやろ。うちは親も弟妹もあれへん。京都で商売してはったお父さんの妹さんに引き取られたんや。商売が忙しいて小さな子供がぎょうさんで子守をさせられた。」
「その家はだんだん商売が傾きだして、うちをよう高校にやらんと言われて、結局独身でスナックしてはった、お父さんの一番下の妹さんに引き取られたんや。その叔母さんはうちと十歳しか違わんかったけど、うちを高校に行かせてくれはった。お姉さんと言わされたけど、お母さんみたいな人や。奇麗な人で旦那さんがいてはった。」
「うちは高校卒業したら、会社勤めしよう思うてたけど、叔母さんはお店を手伝って欲しい言いはって・・うちは叔母さんに恩があるし、会社勤めしながら夜はお店を手伝うたりしてた。」
「ところが叔母さんが病気で倒れはって、お店を潰す訳にいかんし、うちがママの代わりをするようになった。叔母さんが元気になりはったからお店を辞めようと思うてたら、旦那さんが続けろ言いはって揉めてしもうた。そんな時に龍さんと会って、夜逃げ同然でここに来たんや。」
「子供の頃から親戚の家を転々として来たやろ。周りに気を遣って、迷惑かけんとこ、邪魔せんとこ、そない思うて生きてきた。ここに来るときも、皆から意地悪されたらどうしよう思うて心配やった。」
「そやけど、皆良え人ばかりで、何の気兼ねもいらん。龍さんは優しいし、義父さんええ人やし、洋くんもなついてくれた。それに男世帯やから、炊事も洗濯も繕いも女のうちがせなあかんことが一杯ある。・・そら、朝から晩まで忙しいけどうちは嬉しいんや。皆が喜んでくれはるから、役にたってるというか、必要とされているというか、こんなに感謝されるんは初めてなんや。」
「うちはやっと居場所を見つけた。やっとほんまの家族に会うた。そう思うてる。・・洋くんありがとう。困ったことがあったら何でも相談してや。うちは親も姉弟もおらへんから、うちらはほんまの家族や、ほんまの姉弟や。絶対嘘つかんとこな・・」
そう言うと、彼女は僕と小指を絡ませ指切りげんまんを唱えた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。指切った。」
四
高く澄んだ青空に筋雲がたなびく秋であった。
蒼穹の高みから涼やかな風が舞い降り、防風林に囲まれたグランドを吹き抜けた。防風林の向こうに紺碧の日本海が光を弾き、打ち寄せる潮騒が絶え間なかった。僕らは砂浜海岸に作られた隣町グランドに集まっていた。
その日は隣町青年団との恒例のソフトボール試合で、親睦が目的と言うものの、血の気の多い漁師たちのことで気合いが入っていた。メンバーは交代自由だったが、チームに二名、女性か少年を入れることがルールであった。
僕らのチームは野球の得意な龍兄がピッチャーだったが、最近は勝ったことがなかった。それは相手チームに豪腕女ピッチャーが入ったからで、女は元ソフトボールの国体選手で隣町に嫁いで来たのである。レスラーのような身体から飛び出す剛速球を射止めるのは、野球馴れした青年も容易でなかった。
中学の野球部に入ったからだと思うが、僕は少年枠で先発ピッチャーに抜擢された。監督に「女、子供は打たせろ、男は勝負しろ」と指示されたが、馴れぬソフトボールは制球が悪く、初回で四球を二ツも出し甘いストライクを叩かれて三点を許した。二回も立ち上がりを打たれてしまい龍兄と交代させられた。
相手チームは僕に対抗して中学三年のピッチャーをたてたが、彼はさすがに馴れたもので、一点を許しただけで例の女ピッチャーと交代した。雪辱を期す兄の変化球は特訓の成果で冴え、国体女ピッチャーの剛速球も衰えず、両者とも一点を許しただけで四対二で最終回を迎えた。
最終回の表、先発相手チームの攻撃を兄は凡打二ツ、三振一ツで仕留めた。その裏、女ピッチャーの球威が衰えていたから、僕らの勝利は夢でなかったが盛り上がらなかった。それどころかほとんど諦めムードだった。
それと言うのも、バッターに女・少年枠を使わねばならず、豪腕女ピッチャーがツーアウトを取るのは確実だった。ツーアウトから逆転するには、誰かが塁に出て次々安打を放ち三点入れなければならない。幾ら女ピッチャーが疲れ気味と言え、それは奇跡に近かった。
最初のバッターは強打のAさんだったが、大きなファウルを放って期待されたものの、最後は空振りで仕留められた。残りバッターは女・少年枠、女ピッチャーは勝ったも同然でトドのような雄叫びをあげた。
僕らのベンチからため息が漏れ、最後の女・少年枠は誰だろうと思っていると、何と雪江さんと僕が呼ばれたのである。
雪江さんは「エッ!私?」と青ざめ、僕は「クソッ!一本くらい打ってやれ」と闘志を燃やした。ところが、監督は「ドンマイ、ドンマイ、楽しんで来い」とやる気がなく、龍兄が真顔でアドバイスしてくれた。
「ピッチャーは余裕やから、お前らに打たせるやろ。雪江、最初の易しい球を思いっきり叩け!」
髪をキリリと束ねた、白トレパンの雪江さんが緊張してマウンドに立った。
勝利目前の女ピッチャーはほくそ笑んでいる。守備陣もニヤニヤして思いっ切り前進した。誰かが「打たせたれよ」と叫んだ。
バットを構える雪江さんを見て、僕はアレッと思った。
素人の筈なのに姿勢がしゃんとしている、というか様になっている。しかも全身からメラメラ炎がたっている。炎は僕以外は見えないらしく、女ピッチャーは「ハイ、打ちな」とばかりに易しい球をホワ~と投げた。
兄が「打て!」と叫んだのと、雪江さんが思いっきりスウィングしたのは同時であった。
コーン、打球は前進した守備陣の頭上高く飛んでいった。
雪江さんは一瞬戸惑い、「走れ!」の声にダッシュした。
白球は草むらに転がり捜すのに手間取った。その間に彼女は二塁を廻った。何と!三塁打である。
ベンチは一瞬静まり、一呼吸置いて歓声が上がった。
ワンアウトで三塁、逆転出来るかもしれない。僕はヒットを放って繋がなければならない。武者震いする僕に龍兄がアドバイスした。
「落ち着け!ピッチャーはお前を試す。下手な振りをしろ!見くびって甘い球が来たら叩け!」
案の定、初球は力任せの速球だった。僕は手も足も出ずストライクを取られた。次は外角高めの明らかなボール球だった。瞬間アドバイスが閃いた。僕は大袈裟に空振りした。ツーストライクである。
女ピッチャーは何で?と首を傾げた。僕を見くびったのは確実である。三球目は「これなら打てるかな」と言う感じで易しい球を投げてきた。
腰を引いて待ちかまえていた僕は、ここぞとばかりにスウィングした。