子羊フリースの冒険
「ま、そんな気持ちになるときもあるわさ。でもな、ひとりじゃできんことが、みんなで力を合わせると、やり遂げられることだってあるんだぞ。力を合わせるっていうことは、急にはできねぇ。普段から、チームワークができてねぇとな。」
「でも、みんなで力を合わせるっていっても、嫌いな子とも、力を合わせるなんて・・・・・」
フリースは、すぐそばの地面を歩いていく、アリの行列を見ながらつぶやくように言いました。
「なるほどな。なぁに、その気持ちは当たり前なんじゃ。食べ物だって、好き嫌いがあるじゃろ。人間だって、好きな人ときらいな人がいたって、いいんじゃ。でもな、嫌いだからといって、無視したり、避けたりしてはいかんぞ。嫌なヤツでも、いいところは必ず持っているはずなんじゃ・・・・・・。」
「えっ、でも、好き嫌いはない方がいいんじゃないの?」
「好き嫌いがないことが、いいことのように言うヤツもおる。が、わしはそうは思わん。好き嫌いっていうのは、心がそう感じているんだから。頭で考えて好きか嫌いかを決めてるわけではなかろう?無理に好きになろうとせんでも、いいと思うぞ、ワシは・・・・・・。」
「おじいさんの言ってることは、ちょっとムツカシイなぁ・・・・・。でも、そう言ってもらって、ちょっと気が楽になったみたいだよ。」
ジプじいさんは、目を細めて言いました。
「フリースとやら、おまえとワシは、今日はじめて逢ったのに、こんなに心が通じ合った。最初、ワシはおまえのことを、あやしいヤツだと思った。おまえもワシをこわいと思ったじゃろ?」
「えっ、うん、まぁ、それはそうだけど・・・・・・。」
「でもな、こうやって話すりゃ、分かりあえるもんじゃ。ひとを信じることじゃ。見た目だけでは、分からんぞ、人というものは。まず、信じることじゃ、まずはな・・・・・・。」
そんな話をしている間も、川は静かに流れ、魚たちはその流れの中で、ゆったりと泳いでるのでした。
「さ、そろそろ、おめえも帰らねば。おっかさんたちが心配すっど。」
ジプじいさんが、フリースの目を見て言いました。
しかし、フリースは首を振りました。
「いや、もう少しここにいる。今帰ると、また幼稚園に連れて行かれるもん。そしたら、またあの園長先生に、はがいじめにされて・・・・・・」
「何を言う。こんなところに、いつまでもいてはいかん。もう帰った方がええ。また、いつでも、遊びに来たらええんじゃから・・・・。今日は、おとなしく帰れ。」
フリースは、幼稚園のカバンを手に持つと、仕方なく、ゆっくりと立ち上がりました。
そしてこう言いました。
「おじいさん、ありがとう。でも、ぼくは、まだ家には帰らない。もう少し山の方に行ってみる。」
「バカ言うんじゃねぇ。山には、恐ろしい魔女が住んどる。行ってはなんねぇ!」
フリースはまた、そおっと、そおっと、得意のバックステップで、歩き始めました。
「さようなら、おじいさん。楽しかったよ。でも、ぼく、行かなくちゃ。じゃあね!」
ジプじいさんは、杖をついて追いかけようとしましたが、フリースの逃げ足にはかないません。あっという間に、どんどんフリースは遠ざかって行きます。
「フリース!魔女に気をつけろ。もし出会っても、逃げるんじゃないぞ!」
ジプじいさんは、思わず大声で叫びました。
「あの魔女は、弱い心をあやつる術を持っとる。強い勇気があれば勝てる。さもないと・・・・・・。」
フリースは、ジプじいさんにつかまえられないよう、全速力で走り出していましたので、そのあとの言葉は、風にかき消され、もう聞こえませんでした。
フリースは、暗い森へと続く細い山道を、とぼとぼ歩きながら考えました。
「ジプじいさんって、いいひとだったなぁ。町のみんなからは、へんくつもの呼ばわりされているけど、話してみると、いいひとだった。ぼくの話もちゃんと聞いてくれたし、ぼくの気持ちも分かろうとしてくれた・・・・・。」
フリースの頭の中には、ジプじいさんの、あのちょっとこわくて、そのくせやさしい目をした顔が浮かびました。
「それにしても、あの、ジプじいさんが言っていた、魔女ってほんとうかなぁ?ぼくを、家に帰らそうとして、あんなこと言ったんだろうか?それとも、ほんとうに森には魔女がいるんだろうか?それに、強い勇気を持っていれば勝てるけど、そうでないと、どうなるんだろう?」
ヒューッ、ヒュルルル・・・・・・・。
突然風が強く吹き、森の木々が、ざわざわと枝をゆらしました。
ブルブルブルッ・・・・・・。
フリースは思わず身ぶるいしました。暗い森の奥に、ほんとうに魔女がいるような気がしました。やっぱり帰ろうか、とも考えましたが、今帰ったらジプじいさんに、笑われるような気がしましたし、家に帰れば、またお昼から幼稚園に行かされるだろうし、そんなことは死んでもイヤでした。
ザワザワ・・・、ガサガサ・・・・・。
と、ふいに、深い茂みの方で、音がしました。
フリースはこわくなって、なるべくそちらを見ないようにしながら、小走りに駆け出しました。ほんとうに、何かいるようです。
「何かいる!こわい・・・・。こわい・・・・・。」
ざわざわ・・・。がさがさがさ・・・・・。
まわりの、あちこちから、音がうずをまくように、聞こえて来ます。
フリースは、あたりを見わたしながら、また、そおっと、バックステップで、一歩、二歩と歩き始めました。するとそのとき、
ドスン!
と、何かにフリースは、背中からぶつかりました。
ハッとして、おそるおそる振り返ったフリースの、大きく見開いた目に飛び込んできたのは、な、なんと、大きな口を開けたオオカミでした。
声も出せないくらい、フリースは驚き、歯がカタカタ、鳴りました。
オオカミは大きな口をあけたまま、ニヤリと笑いました。なまぐさい息が、フリースの顔にかかります。逃げよう・・・と思ったとき、オオカミはもう、フリースのからだをガッチリと、つかんでいました。
「はーっ、はっ、はっはー。もう逃げられはせんぞ、子羊め・・・・。」
オオカミの低い声が、地面に響くように聞こえました。
恐ろしさにガタガタふるえながらも、フリースは、せいいっぱい、なんとか助かる方法を考えていました。力では、とうてい、オオカミに勝てっこありません。
フリースは、勇気をふり絞って、こう言いました。
「オ、オオカミさん、ほんとうにボクを食べる気?やめといた方がいいよ。なぜなら、ボクは好き嫌いが多くて、お弁当もよく残すし、ガリガリのやせっぽちだから、きっとまずいと思うよ。きっと世界一まずいと思うんだけど、それでも食べる?」
「ふん、いやなこと言いやがる!でもな、そんなことで、ひるむような、オレじゃねえ。かえって、ダイエットにはいいかも知れねえ。」
フリースは、自分の作戦が、うまくかわされてしまったので、少しあせりましたが、また勇気をふり絞って、言いました。
「そうだ。オオカミさん、この近くに住んでる猟師さんのこと知ってる?」
『猟師』という言葉が出た途端、オオカミの耳がぴくりと動いたのを、フリースは見逃しませんでした。