子羊フリースの冒険
「今だ!」
と、フリースは、思いました。
そして、そおっと、そおっと、静かにバックステップ・・・・・・。
しめしめ、まだ、お母さんも園長先生も、おしゃべりに夢中で、フリースに気づいていません。
幼稚園の門を出てから、静かに「回れ右」をすると、あとはもう、まっしぐら!公園の角を曲がり、郵便局の前を駆け抜け・・・・・・、このあと、どこへ行こうか?
どこへ逃げるのか、決めておけばよかった・・・・・・
と、今ごろになって、フリースは思いました。
子羊のフリースは、幼稚園に入ったばかり。お友達と遊ぶのは大好きなんだけど、先生から、ああしろ、こうしろと、言われるのが大きらい。もちろん、先生は、
「お絵かきしましょうね」とか、やさしく言ってはくれますが、絵をかきたくないときに、そんなこと言われても、フリースは、線一本かくことができないのです。そんなことより、こぐまのハニーくんをさそって、公園のブランコに乗りに行きたいのです。
どうして、みんな一緒に何かをしなけりゃいけないんだろう?
みんな、ひとりひとり違うのに、おかしいや!
と、フリースは思っていました。
特に、園長先生は、言うことを聞かないフリースを、力まかせに、はがいじめにするので、フリースは、大きらいでした。バカぢからでつかまえながら、ことばでは、
「あーら、フリースちゃん、おいたをしてはいけませんわ」
などと、かん高い声で言うもんだから、フリースはそのたびに、頭がくらくらするのでした。
郵便局の前を過ぎてから、フリースは左の道へ入り、てんぐ山に続く山道を駆けて行きました。無我夢中で、しばらく走っていると、やがて小さな橋がありました。フリースは、今までに、こんな遠くまで来たことはありませんでした。
もうここまで来れば大丈夫・・・・・・と思うと、急に力が抜けて、息も苦しく感じました。
「ふぅっ、・・・・・・もう、走れない」
フリースは、走るのをやめ、道端のやなぎの木の根元に腰をおろしました。
橋の下を、小さな川が音もなく流れています。フリースは、ぼんやりと、小川を見下ろしていました。川の水は、なぜか黒っぽく見えましたが、それはその水が透明で澄んでいるためのようです。川の中には、魚一匹泳いでいませんが、さわがにぐらいは、潜んでいるような気がしました。ふと気がつくと、橋のたもとに階段があって、川原に続いているようです。フリースは、何のためらいもなく、その石の階段を下りて行きました。
思ったとおり、川の水は透き通っていて、冷たく流れていましたが、近くまで来ると意外に流れも速く、さわさわ、音をたてていました。
フリースは、手近な石をいくつか裏返してみましたが、さわがにどころか、虫一匹いません。幼稚園を脱走して来たことなど、もうすっかり忘れて、夢中になって大きな石や小さな石を裏返してみながら、フリースは歩いて行きました。そうやって、フリースは知らず知らずのうちに、どんどん川をさかのぼって行きました。
やがて、川は大きく右に曲がり、その淵に沿って、大きなよどみがありました。驚いたことに、さっきまで一匹もいなかった魚がたくさん泳いでいるのが見えます。小さい魚は何十匹も群れになっていますし、少し大きいのもあちこちに、ゆったりと泳いでいます。
なんて素敵なながめでしょう。そして、川岸には木が生い茂り、ひんやりと気持ちのよい場所です。ここからなら、お父さんの釣りざおがあれば、きっとたくさんのお魚が釣れるだろうと、フリースは思いました。スイスイ泳ぐ魚を目で追っていると、水の中の魚が、手を伸ばせば、すぐにでもつかめそうな気がしてくるのが不思議です。それに、ほんのすぐ目の前なのに、水面のこちらとあちらは別の世界で、服を着たままでは、たったの五メートル、進むことすらできないのです。
「おい、そこで何をしておる?」
ふいに、後ろから声がしました。
驚いてフリースが振り返ると、いつの間にかそこには、犬のおじいさんがひとり、杖をついて立っていました。
「あっ、ぼ、ぼくは・・・・・・」
「どこから来たんじゃ?」
見ると、服はボロボロで、足には、やはりボロのつっかけをはいています。フリースは、森の近くに住んでいる、へんくつものの、おじいさんのうわさを聞いたことがありました。きっと、この人のことだと、フリースは思いました。
犬のおじいさんは、こっちが答えない間に、次々と質問をしてきます。
「おまえは誰じゃ・・・?」
フリースは、どの質問から答えていいのか分からなくなり、少しうろたえましたが、もう順番はどうでもいいや、と考え直しました。
「ぼく、フ、フリースといいます。町の幼稚園から来て、今、か、かわをみ、みてたんです・・・・・。」
「フフン、怪しいもんじゃなさそうじゃな。しかし、幼稚園の子が、ひとりでこんなところに来ちゃ、いかんじゃろうが・・・・・。」
そう言われれば、返す言葉もありません。しかし、幼稚園を脱走して来たなどと、言えるはずもありません。
「おめえ、どうしてこんなところに、来たんだ?」
フリースは、やっぱり、もじもじしながら、黙っていました。
「まぁいい。ま、こっち来てすわらんか・・・。」
犬のじいさんが、とぼとぼ歩き始めた先には、今まで気づかなかったのが不思議なくらい、大きな掘っ立て小屋がありました。どうやら、じいさんのうちのようです。フリースは仕方なく、じいさんについて行きました。
「フリースとか言ったかの、お若えの・・・・、ま、ちょうどお茶もわいたところじゃ、付き合って行かんか?」
じいさんの家の前には、切り株でできた椅子と、流木を組んで作った足に、大きな板を乗せただけようなテーブルがありました。じいさんは、その切り株椅子に腰をおろし、フリースにも、すわるよう促しました。
「さ、飲んでみろ。」
「う、うん・・・・・。」
じいさんが、お茶を飲むのを見て、フリースも分厚いカップから、熱いお茶をひとくち、すすりました。
「うっぷ!」
熱いのと、にがいのとで、思わずフリースは顔をしかめました。
「わぁっ、はっ、は・・・・・、あわてんぼうじゃのぅ。ゆっくり、落ち着いて飲むもんじゃ、お茶というものは。それは、たんぽぽから作ったお茶じゃから、少しにがく感じるかも知れんが、からだにはいいんじゃぞ。」
しばらく、そうやって一緒にお茶を飲んでいるうちに、フリースはじいさんと、すぐにうちとけて、お話ができるようになりました。それは、見かけや、言葉使いとはうらはらに、じいさんの持っている心のやさしさに、フリースがそれとなく気づいたからでした。幼稚園から逃げてきたことも、素直に白状してしまいました。
「ワシの名前はジプ。ひとりで、ずっとここで暮らしておる。金はないが、なんの不自由もなく暮らしとる。ところで、おまえさん、どうして、幼稚園から逃げて来たんじゃ?」
「幼稚園てねぇ、みんなに同じことをさせようとするでしょ。ぼくはあれがいやなんだよ。ぼくは、好きなときに好きなことをしたいのに。なんだって無理やりさせるんだから。」
と、フリースは、思いました。
そして、そおっと、そおっと、静かにバックステップ・・・・・・。
しめしめ、まだ、お母さんも園長先生も、おしゃべりに夢中で、フリースに気づいていません。
幼稚園の門を出てから、静かに「回れ右」をすると、あとはもう、まっしぐら!公園の角を曲がり、郵便局の前を駆け抜け・・・・・・、このあと、どこへ行こうか?
どこへ逃げるのか、決めておけばよかった・・・・・・
と、今ごろになって、フリースは思いました。
子羊のフリースは、幼稚園に入ったばかり。お友達と遊ぶのは大好きなんだけど、先生から、ああしろ、こうしろと、言われるのが大きらい。もちろん、先生は、
「お絵かきしましょうね」とか、やさしく言ってはくれますが、絵をかきたくないときに、そんなこと言われても、フリースは、線一本かくことができないのです。そんなことより、こぐまのハニーくんをさそって、公園のブランコに乗りに行きたいのです。
どうして、みんな一緒に何かをしなけりゃいけないんだろう?
みんな、ひとりひとり違うのに、おかしいや!
と、フリースは思っていました。
特に、園長先生は、言うことを聞かないフリースを、力まかせに、はがいじめにするので、フリースは、大きらいでした。バカぢからでつかまえながら、ことばでは、
「あーら、フリースちゃん、おいたをしてはいけませんわ」
などと、かん高い声で言うもんだから、フリースはそのたびに、頭がくらくらするのでした。
郵便局の前を過ぎてから、フリースは左の道へ入り、てんぐ山に続く山道を駆けて行きました。無我夢中で、しばらく走っていると、やがて小さな橋がありました。フリースは、今までに、こんな遠くまで来たことはありませんでした。
もうここまで来れば大丈夫・・・・・・と思うと、急に力が抜けて、息も苦しく感じました。
「ふぅっ、・・・・・・もう、走れない」
フリースは、走るのをやめ、道端のやなぎの木の根元に腰をおろしました。
橋の下を、小さな川が音もなく流れています。フリースは、ぼんやりと、小川を見下ろしていました。川の水は、なぜか黒っぽく見えましたが、それはその水が透明で澄んでいるためのようです。川の中には、魚一匹泳いでいませんが、さわがにぐらいは、潜んでいるような気がしました。ふと気がつくと、橋のたもとに階段があって、川原に続いているようです。フリースは、何のためらいもなく、その石の階段を下りて行きました。
思ったとおり、川の水は透き通っていて、冷たく流れていましたが、近くまで来ると意外に流れも速く、さわさわ、音をたてていました。
フリースは、手近な石をいくつか裏返してみましたが、さわがにどころか、虫一匹いません。幼稚園を脱走して来たことなど、もうすっかり忘れて、夢中になって大きな石や小さな石を裏返してみながら、フリースは歩いて行きました。そうやって、フリースは知らず知らずのうちに、どんどん川をさかのぼって行きました。
やがて、川は大きく右に曲がり、その淵に沿って、大きなよどみがありました。驚いたことに、さっきまで一匹もいなかった魚がたくさん泳いでいるのが見えます。小さい魚は何十匹も群れになっていますし、少し大きいのもあちこちに、ゆったりと泳いでいます。
なんて素敵なながめでしょう。そして、川岸には木が生い茂り、ひんやりと気持ちのよい場所です。ここからなら、お父さんの釣りざおがあれば、きっとたくさんのお魚が釣れるだろうと、フリースは思いました。スイスイ泳ぐ魚を目で追っていると、水の中の魚が、手を伸ばせば、すぐにでもつかめそうな気がしてくるのが不思議です。それに、ほんのすぐ目の前なのに、水面のこちらとあちらは別の世界で、服を着たままでは、たったの五メートル、進むことすらできないのです。
「おい、そこで何をしておる?」
ふいに、後ろから声がしました。
驚いてフリースが振り返ると、いつの間にかそこには、犬のおじいさんがひとり、杖をついて立っていました。
「あっ、ぼ、ぼくは・・・・・・」
「どこから来たんじゃ?」
見ると、服はボロボロで、足には、やはりボロのつっかけをはいています。フリースは、森の近くに住んでいる、へんくつものの、おじいさんのうわさを聞いたことがありました。きっと、この人のことだと、フリースは思いました。
犬のおじいさんは、こっちが答えない間に、次々と質問をしてきます。
「おまえは誰じゃ・・・?」
フリースは、どの質問から答えていいのか分からなくなり、少しうろたえましたが、もう順番はどうでもいいや、と考え直しました。
「ぼく、フ、フリースといいます。町の幼稚園から来て、今、か、かわをみ、みてたんです・・・・・。」
「フフン、怪しいもんじゃなさそうじゃな。しかし、幼稚園の子が、ひとりでこんなところに来ちゃ、いかんじゃろうが・・・・・。」
そう言われれば、返す言葉もありません。しかし、幼稚園を脱走して来たなどと、言えるはずもありません。
「おめえ、どうしてこんなところに、来たんだ?」
フリースは、やっぱり、もじもじしながら、黙っていました。
「まぁいい。ま、こっち来てすわらんか・・・。」
犬のじいさんが、とぼとぼ歩き始めた先には、今まで気づかなかったのが不思議なくらい、大きな掘っ立て小屋がありました。どうやら、じいさんのうちのようです。フリースは仕方なく、じいさんについて行きました。
「フリースとか言ったかの、お若えの・・・・、ま、ちょうどお茶もわいたところじゃ、付き合って行かんか?」
じいさんの家の前には、切り株でできた椅子と、流木を組んで作った足に、大きな板を乗せただけようなテーブルがありました。じいさんは、その切り株椅子に腰をおろし、フリースにも、すわるよう促しました。
「さ、飲んでみろ。」
「う、うん・・・・・。」
じいさんが、お茶を飲むのを見て、フリースも分厚いカップから、熱いお茶をひとくち、すすりました。
「うっぷ!」
熱いのと、にがいのとで、思わずフリースは顔をしかめました。
「わぁっ、はっ、は・・・・・、あわてんぼうじゃのぅ。ゆっくり、落ち着いて飲むもんじゃ、お茶というものは。それは、たんぽぽから作ったお茶じゃから、少しにがく感じるかも知れんが、からだにはいいんじゃぞ。」
しばらく、そうやって一緒にお茶を飲んでいるうちに、フリースはじいさんと、すぐにうちとけて、お話ができるようになりました。それは、見かけや、言葉使いとはうらはらに、じいさんの持っている心のやさしさに、フリースがそれとなく気づいたからでした。幼稚園から逃げてきたことも、素直に白状してしまいました。
「ワシの名前はジプ。ひとりで、ずっとここで暮らしておる。金はないが、なんの不自由もなく暮らしとる。ところで、おまえさん、どうして、幼稚園から逃げて来たんじゃ?」
「幼稚園てねぇ、みんなに同じことをさせようとするでしょ。ぼくはあれがいやなんだよ。ぼくは、好きなときに好きなことをしたいのに。なんだって無理やりさせるんだから。」