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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅱ

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 でも大変だったのはそれからだった。それまで気にならなかったし、気にも留めていなかったものが、急に悪意をむき出しにしてアルベルトへ纏わりつくようになってきたからだった。
 初めは黒い影でしかなかったそれは、存在を認識した途端、明確な形をとってアルベルトの前に現れた。鋭い角や牙を持つものや、蝙蝠のような翼を持つもの、複数の生き物が合わさったかのような妙な姿形をしているもの。そんな異形の化け物達を何と呼ぶのか知るのに、それほど時間はかからなかった。
 異形の化け物――悪魔の存在は知っていた。物心ついた時から、奇妙な黒い影がたくさん動き回っている様子はずっと視えていたからだ。ただ、悪魔達は常に部屋の隅にわだかまっているだけで、何かをしてくることはなかった。
近付いてくるようになったのは、幽霊達がいなくなってからだった。



 日も沈みかけて辺りは薄暗い。街道から外れ、近くに村も町もない。そんな場所では人の気配もなく、静寂があたりを満たしている。
「・・・・静かすぎるわね」
 辺りの様子を伺いつつ、リゼは呟いた。うるさいよりは静かな方が好きではあるが、こう静かすぎると落ち着かないし、何より不自然である。まるで恐ろしい何かに見つかるまいと、全ての生き物が息を殺し、身を隠しているかのように。
(近くに何かいるのかしら。・・・・悪魔が)
 不意に強い風が吹いてきて、周囲の樹がざわざわ揺れた。それと同時に、妙な気配が地を這うように近付いてくる。冷たくてねっとりした、この独特の気配。
 ザザザザ―――
 鳴り響く葉擦れの音。リゼは剣を抜くと、近くの繁みにゆっくり近付いて、
「そこ!」
 繁みを飛び越え、その向こうにいるものに向けて突きを繰り出した。
「わ〜待って待って! 危ないから! 人に刃物向けたら危ないから!」
 リゼに剣を突き付けられたその人物は焦った様子でそう捲し立てた。むせかえるような気配の中にやけに普通の気配が混ざっていると思ったら、どうやらただの人だったらしい。その人物は敵意がないことを示したいのか、両手を上げてひらひら振った。
「あの〜私何も悪いことしてないんで、その剣どけてもらっていいですか?」
 文字通り目と鼻の先に突き付けられた剣の切っ先を指さし、恐る恐るといった様子で尋ねる。確かに悪いことをしたわけでもないし、ただの、それも無害そうな人物なので、リゼは剣を引き、鞘に納めた。
「あなた、ひょっとしてこの近くにでも住んでるの?」
「いや、ただの通りすがりの旅人」
 どこかで聞いたような台詞だ。
「や〜恥ずかしながら道に迷っちゃって。行けども行けども街道に出られないし、人の住んでそうなところも見当たらないし。それでちっと行き倒れてたら、人のいる気配がしてさ。野盗とかだったら怖いから、繁みの中から覗いたんだけど・・・・・ま、それはいいや。ね、街に行くのはどっち行ったらいいか知ってる?」
 長々とした説明の後、自称ただの旅人はそう質問した。行き倒れていた割には口調に深刻さがない。変な奴、と思ったが、とりあえず要望に応えることにした。
「ここからなら東に行けば街道に出られるわ」
「おお〜! ありがとう! さっそく行ってみるよ」
 旅人は嬉しそうにそう言うと、さっそくという言葉通りリゼの言った方へ歩いていく。やけに迷いのない行動だ。
「・・・・・行き倒れてたって言ってたけど、食糧とか大丈夫なの? 魔物もいるし、街道まで三日はかかるわよ」
「大丈夫大丈夫。なんとかなるって」
 至極軽いノリで旅人は答える。それどころか、じゃあねと言ってさっさと歩いて行ってしまった。旅人の一つにまとめた長い黒髪が、歩くのに合わせてゆらゆら揺れる。
「あ、そうだ。そっちの方なんだけどさ。なんかヤバいものがいるみたいだから、行くなら気を付けたほーがいいよ?」
 途中、半分だけ振り返って旅人はそう言った。そっち、というのはリゼが向かおうとしている方向である。方角で言うと北西だ。
(ヤバいもの、ね)
 確かに邪悪な気配はしている。おそらく魔物ではないかと思うが、それにしては強すぎるような気がする。
「まさか、そのヤバいものの姿を見たりとかは―――」
 振り返ったリゼはそこで言葉を切った。知っていることがあるなら教えてもらおうと思ったのだが。
 すでに旅人の姿はなかった。



 幽霊と違って悪魔というのはそこら中にいた。
 たいていの悪魔は黒い影か靄のようなものでふらふらとその辺を漂っているだけだったが、もう少し大きくて影か靄以上の姿をしているものは厄介だった。歩いていると纏わりつき、夜眠ろうとすると身体に張り付き、油断していると気持ち悪い姿をした悪魔が突如目の前に出現する。実体のないものなので追い払うこともできず、とにかく無視し続けることしか対処法はなかった。こちらが反応を返さないと分かると、少しは付きまとってくる数が減るからだ。
しかししばらくして、そうも言っていられない出来事があった。悪魔が生き物に取り憑くものだと知った頃のことだ。近所に住んでいた中年の男性が悪魔に取り憑かれて亡くなったのだ。
 アルベルトは男性が悪魔に取り憑かれていることに気付いていた。その中年男性だけではない。その後、何人もの村人が悪魔に取り憑かれた。悪魔に取り憑かれることがすなわち死を意味することを知ってからは、誰かが取り憑かれるたびにその人は悪魔に取り憑かれていると警告するようになった。悪魔祓い師という人がいて、その人なら悪魔を祓うことができると教えられていたから、少しでも早く悪魔祓いができるように、知らせてあげなければならないと思ったからだ。
 しかし、知ったところで村の誰も悪魔祓い師に祓魔の秘跡を授けてもらうことはできない。教会すらない辺境の村。悪魔祓い師のいる街は遠い上、貧しいが故にすべての労働を辞めなければならない祈りの日にも、働かざるを得ない者がほとんどなのだ。祈りの日には労働を辞め、神に祈らなければならない。神の教えを守らない罪人であるが故に、たとえ街に行ったとしても、祓魔の秘跡は受けられない。悪魔に取り憑かれたら最後、苦しみ悶えて死ぬだけなのだ。
 そんな状況では、アルベルトの警告は死の宣告にしかなりえなかった。アルベルトは次第に気味の悪い子だと周りに怖がられ、避けられるようになった。それでもアルベルトは警告し続けたが、言えば言うほど怖がられるばかり。怖がられ、気味悪がられ、避けられることが嫌になったアルベルトは、いつしか警告することを諦めるようになった。何が視えても、何が分かっても、全て視て視ぬふりをして。
 だから両親が悪魔に取り憑かれた時も、何も言うことができなかったのだ。



(・・・・遅いな)
 日が沈んであたりが暗くなってからかなり経った頃。アルベルトはなかなかリゼが帰ってこないので、さすがに心配になってきていた。もう遅い時間、というほどではないが、日が暮れてから野外で長く歩き回るのは危険である。
 ちなみに、リゼが散歩に行った原因はと言えば、うつらうつらと船を漕いでいる。
(探しに行くか)