Savior 第一部 救世主と魔女Ⅱ
「・・・・この符を買えば、あなたは赦しを得ることが出来ます。神の加護が授けられ、悪魔に怯えることもなくなるでしょう」
「金ならこれだけある! 売ってくれ!」
「それでは足りません。神の赦しは安くはないのです。それに、神のためなら進んで喜捨するのが真の信者というもの。その程度の信仰心しか持ち合わせていないから、あなたは罪人と呼ばれるのです」
「なら有り金全部出す! これならいいだろう!?」
「・・・・まあいいでしょう。ではこれを受け取りなさい。あなたに赦しの秘跡を授け――」
「何をしているんだ?」
アルベルトの問いかけに、ローブを着た怪しい人物はびくりとして振り返った。顔は目深に被ったフードに覆われて目元が見えないが、相当焦っているようだ。
「今、赦しの秘跡を授けるといったな。それを買えば神の赦しが得られるとも」
客と思われる男に売りつけようとしていた長方形の紙を持った手が細かく震えている。顔は隠れて見えないがきっと目は泳いでいるだろう。それに追い打ちをかけるように今度はティリーが厭味ったらしく言った。
「へー知りませんでした。赦しってお金で買えるんですのね。わたくしも一つ頂きたいですわ。金銭で買えるような安い秘跡が存在するということを色んな人に知って頂きたいですし。そうそう。貴方のことも世間に知らしめたほうが宜しいかしら。こんな立派な行いをしてるんですもの。ね?」
ローブの男の動揺はさらに増した。明らかに挙動不審になり、焦っている。そして。
「速くそれを売ってくれ! たの―――」
「うるさい。どけ!」
懇願する客の男を押しのけて、ローブの男は逃げ出した。ただ走りにくい服を着ているせいか、その動きは遅い。
「逃がさない」
そう言ってリゼがローブの男に魔術を放った。男の足が凍りつき、動きを拘束する。男がつんのめった所で、アルベルトは男を取り押さえた。
「は、放せ! 私は商売をしていただけだ! 何も悪いことは・・・」
「悪いことをしてないのだったらなぜ逃げるんですの?」
「そ、それはお前たちのようなならず者から身を守るためだ! 分かっているのか!? 私に危害を加えることは神を侮辱するのと同じこと――」
「うるさい。いっそ全身氷漬けにでもしてやるわ。それなら黙るでしょう」
「待ってくれ、リゼ」
男の言動にキレたリゼが魔術を使おうとするのを押しとどめ、アルベルトは男が来ている服を見た。一番外側の薄っぺらい外衣の下の服が、よく知っているものだったからだ。
ローブの男が来ていたのは、紛れもなくマラーク教会の司祭の服だった。
「おお、あんたたたちか。奴を捕まえてくれたこと、感謝する」
ローブの男をメリエ・リドスの自警団に引き渡した後。アルベルト達は、メリエ・リドスの中央役場に案内された。役人に案内されて執務室に入ると、待ち構えていた部屋の主がそう言った。四十代ぐらいの、立派な樫の机に負けぬ貫録を持つ大柄な男。彼こそがティリーの言っていたメリエ・リドス市長ゴールトンである。
「お久しぶりです。市長」
「一年ぶりか、ティリー・ローゼン。またうちの研究家達に知恵を貸してやってくれ。それと、」
ゴールトンはリゼとアルベルトに視線を移した。
「そこの二人も歓迎するぜ。救世主殿に悪魔祓い師殿」
やっぱり知っているらしい。手配書が回っているから当然か。
「ありがとうございます。ご迷惑をかけるかと思いますが、宜しくお願い致します」
アルベルトが礼をすると、ゴールトンは意外そうな顔をしたがすぐに愉快そうに笑った。
「ほう。礼儀正しい兄ちゃんだな。悪魔祓い師だからって一括りにするのは好きじゃないが、偉そうな態度でこっちを見下してくるような奴らにばっかり会ってるから、あんたみたいなのは新鮮だ」
愉快そうなゴールトンとは裏腹にアルベルトは複雑な心境になった。悪魔祓い師は一般のマラーク教徒には信頼されてるし、尊敬もされている。しかしそこを一歩出ると、待っているのは不信と嫌悪だ。・・・勿論、悪魔祓い師が改善すべき点は多い。
「ところで、用件を聞かせてもらおうか」
ゴールトンはテーブルに肘をつくと、本題を切り出してきた。それにティリーが前に出て答える。
「ミガーへ行きたいんです。船を出してくださいますわね?」
「それはあんたたち全員をか?」
「もちろん。構いませんわよね?」
そう言って、ティリーは一通の封書を取り出した。特に変わった所のない、ごくごく普通の封書だ。ティリーはそれをゴールトンに渡した。
「わたくしの身分証明書ならここに」
ゴールトンは封書を開け、中身に目を通す。最後まで見終わると納得した様子で封書を畳んだ。
「ふむ・・・・ま、そういうことなら船を出してやろう。ただ、出せるのは早くて一週間後だ。いろいろ準備があるからな」
意外とあっさり許可が出たので、アルベルトは拍子抜けした気分になった。仮にも密航なのだからもっと慎重に決断するのかと思ったのに、封書一枚で通してしまったのだから。
(いや、ティリーのような悪魔研究家がアルヴィアにいることを考えると、かなり大勢のミガー人が密航しているということなのか)
出入国をメリエ・リドスに限り、出入りする人や物を徹底的に管理しているはずなのだが、それでもこれだけ漏れているのだから。
その時、今まで黙っていたリゼが口を開いた。
「船の件はそれでいいけど、それよりさっき捕まえた男は何者なの? あいつだけじゃない。悪魔憑きから悪魔を祓ったのに、正気に戻らない人が何人もいた。一体何が起こってるの?」
リゼの問いかけに、ゴールトンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「・・・ここのところ妙な薬が出回っててな。服用すると幸福になれるという薬だ」
「幸福になる薬?」
「天にも昇るような気持ちになるという話だ。だが薬効が切れると幸福感も消えるし、耐性がつくから量が増える。そうやって使い続けていると今度は幻が見えるようになるのさ」
「例えば、悪魔が見えたり、とか」
「そうだ。そうなるともう末期だな。飲まないと禁断症状で苦しむことになるし、飲んだら幻覚に苦しむことになる。末期になると薬を飲んでも幸福感は訪れないそうだ。それでもやめられず薬を飲み続け、最後には」
「中毒で死ぬ」
「そういうことだ」
ゴールトンの肯定に、ティリーは、
「そんな物騒なものが出回ってたんですの? 治療方法は?」
「軽度なら何とかなるが、幻覚が見えるぐらいまでになるとどうしようもない。残り一生、狂人として監禁されて過ごすか、禁断症状で死ぬか。そのどちらかだな」
そんなものが出回っていたのか。それも、様々なものが集まるメリエ・リドスで。
「では今朝捕まえたあの男は・・・・」
「薬の密売人だ。それも薬のまま売ってるんじゃない。免罪符と称して売ってるんだ。あの薬も、犯した罪によって穢れた身体を浄化するものなんだと」
「罪を浄化する薬? あれが?」
リゼが馬鹿馬鹿しいといった風に呟く。
「それも金で赦しを買えるなんて」
「免罪符って今は禁止されていますわよね?」
「・・・・当然だ。昔、免罪符の売買で私腹を肥やす司祭がいたからな。赦しの秘跡を金銭で売買するなんて間違ってる」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅱ 作家名:紫苑