Savior 第一部 救世主と魔女Ⅱ
神聖アルヴィア帝国南端に位置する神聖都市スミルナは聖地巡礼にて訪れる6番目の都市である。その南西、すぐ隣にアルヴィア唯一にして最大の貿易港メリエ・リドスがある。
ミガーから様々なものが入ってくるこの街は、本来ならスミルナの敷地内のあり、直接教会の統制下におかれてしかるべき場所である。しかしスミルナの教会が貿易港ならではの喧騒を厭うたため、壁の外、すぐ隣に貿易のための街が作られたのだ。
そして、地理的な独立が行政的な独立をももたらしたのである。
「ようやくつきましたわ・・・はあ。この通路、もう二度と使いたくないですわね・・・」
ティリーはその場にへたり込みそうなほど疲れ切った様子で呟いた。
抜け道をたどり着いたのは、船着き場の端のようであった。使われていなさそうな古い木箱が多数積み上げられ、非常に雑然としている。あまり使われていない場所なのか、人の気配はない。柵を乗り越えて積み上がった木箱の上に降りたリゼは、壁に手をついて息を切らすティリーに言った。
「ここを通らないといけないといったのはあなたでしょう」
「そうですけど、大変なものは大変ですわよ」
確かに、もう一度通りたい道ではなかったし、そもそも「道」とは言い難いものだった。断崖絶壁の申し訳程度の足場を飛び移りながら進まなければならない場所だったからだ。そう簡単に出入りできる場所ではない。抜け道、と言っても、通れる人間は限られているのではないだろうか。
「それで、これからどうするんだ?」
同じく柵を越えて降りてきたアルベルトの問いにティリーは答えた。
「まず、ゴールトンに会いに行きますわ。ミガーに行くならしかるべき方に船を出していただきませんと」
「ゴールトン?」
「メリエ・リドス市長です。当たり前ですけど、彼がこの街のすべてを取り仕切っていますから」
そう言って、ティリーはすたすたと歩いて行く。疲れたと言っていた割には速足だが、たぶん早く休みたいのだろう。リゼとアルベルトもそのあとに続いた。
ティリーによると、この辺りはメリエ・リドスでもさびれている場所なので人は少ないらしい。実際、リゼ達が歩いている間も、人の気配はなかった。しかし普段使われている港の方はすでに動き出しているらしく、ここからでも人が働いてるのだろうなということが分かる。
「しかし、突然現れた人間を船に乗せてくれるのか?」
アルベルトが前を歩くティリーに問いかけた。彼女は歩きながら顔だけ振り返ると、自信を持って答える。
「問題ありませんわ。切り札がありますもの」
「切り札?」
「とにかく心配は無用ですわ。なるようになりますもの」
「そうなのか・・・・? しかし、教会の検査は厳しいだろう? 簡単に行くことじゃないと思うが」
「どうでしょうね。どれぐらい厳しいかどうかは、アルヴィアに悪魔研究家達(わたくしたち)がいることである程度証明されてるんじゃありません?」
「じゃあ・・・」
「まあわたくしにとっては有り難いことですけどね。教会はどうでもいいことに力を入れて、やるべきことをやっていないのは事実なんですわ。リゼもそう思いませんこと? ・・・・・リゼ?」
リゼは聞いていなかった。
彼女が見ていたのは建物の間の細い路地の奥。そこに痩せ細った女が一人、ふらふらと歩いていく。その様子は遠目にも正常なものではない。
あれは悪魔憑きだ。
「リゼ! どこへ行くんだ!?」
後ろでアルベルトが呼ぶ声がしたが聞き流す。リゼは路地に入ると、悪魔憑きと思われる女を追いかけた。路地は枝道が多く、下手をすると迷いそうだ。来た道を忘れないようにしながら気配を頼りに進んでいくと、悪魔憑きの女は割り合いすぐ見つかった。
「待って」
声をかけると、ふらふらと歩いていた女が立ち止まる。
「あなた、悪魔憑きね。その様子だとかなり――」
「悪魔!」
振り返ったその女は、リゼを見るなり恐怖に顔をゆがませて悲鳴のような声を上げた。
「・・・・!」
「悪魔! 消えて!」
女は道端に落ちていた石を引っつかむとリゼめがけて投げつけた。とっさのことで避けられず、石はまともに額にぶつかる。石は思ったよりも鋭くとがっていて、ぶつかった所から生温かい液体が流れだして頬を伝った。
滲む血を拭い、リゼは女に向かって手を上げた。いつもの如く詠うように言葉を紡ぐ。悪魔祓いの術が発動し、怯える女を包み込む。すぐに女の身体から黒い靄のようなものが離れて空中で蒸発して消えた。
女の身体から力が抜ける。黒い靄はいなくなり、落ち着いたようだった。そう思ったのだが。
女が突然顔を上げた。ぼさぼさの長い髪がばさぁっと広がる。
「いやぁぁぁぁ! 悪魔! 近寄らないでぇ!」
再び悲鳴のような声が上がった。悪魔を祓ったというのに、女の目は焦点があっておらず、明らかに正気を失ったままである。
「やめてぇぇぇぇ! 来ないでぇぇぇぇ!」
半狂乱になって暴れる女。仕舞には道端に落ちているものを手当たり次第投げつけてこようとしたので、リゼは仕方なく暴れる女に近付いてその鳩尾に容赦なく膝蹴りを叩き込んだ。女は白目をむいて倒れ、大人しくなる。少しやりすぎたかと思ったがまあ仕方ない。
「また悪魔に取り憑かれた・・・というわけじゃないわね」
いくらなんでも速すぎる。それに、もう女から悪魔の気配はしない。
では、何故この人は正気に戻らないのだろう。
「リゼ! 何があったんだ?」
リゼに追いついたアルベルトは、彼女の足元に女性が一人倒れているのを見て驚きの声を上げた。それを聞いたリゼは振り返ると、女性を指さして言う。
「ちょうどいいわ。アルベルト、この人は悪魔に取り憑かれてる?」
「・・・いいや。悪魔憑きじゃない」
「そう。やっぱり・・・」
アルベルトの返答を聞いてリゼはしばし考え込む。
「この人、悪魔を祓ったのに正気に戻らないのよ。この人だけじゃない。あの人たちもね」
リゼが指差す先には、薄暗い路地に座り込む数人の人々。虚ろな眼をしてうずくまる者。空中に向かって何やらぶつぶつ呟いている者。時折奇声を発する者。様子がおかしい者ばかりである。
「悪魔祓いの術をかけたんだけどこの通りよ。多分、悪魔以外に何か原因があると思うんだけど」
「悪魔以外でか」
確かにここにいる人達は悪魔憑きではない。なのに何故こんな風になっているのか。元々、精神を病んでいたのか、あるいは・・・・
「ちょっと、わたくしを置いていかないでくれます? ただでさえ疲れているのに・・・って」
その時、ティリーが文句を言いながら走ってきた。しかし、ようやく追いついたティリーが路地にいる人々を見て息をのんだ。
「これ・・・・悪魔憑きですの?」
「いいえ。悪魔は祓った後よ」
「え? じゃあこれは・・・・」
「後で説明するわ。・・・・誰かいる」
話し声が聞こえる。それもすぐ近くだ。声が流れてくる先を探して、リゼ達はすぐ近くの角を曲がり、その先へ進む。
「いた」
積み上がった木箱の向こうに話し声の主達はいた。
一人は薄汚れた格好をした男。もう一人はフードつきのローブを羽織った清潔な身なりをした男。その二人が何かを話している。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅱ 作家名:紫苑