小さな、未来の魔法使い
五.
そしてついに。
先頭を行く二人は部屋の戸口に着いてしまった。ライニィは彼らの背後にいるが、エリスメアは母からもやや距離を置いている。心臓の音は相変わらず大きい。ぎゅっと握りしめた手のひらからは汗がにじんできた。
エリスメアの心配などよそに、父は何気なく扉を開けた。がちゃりと言う音。そんな物音でさえエリスメアは敏感に感じ取り、びくりと肩をすくめる。
「ああ、ほんとだ。いるいる」
父は軽々しく言ってのけた。そして母に手招きをする。
「えっ」と小声を上げた母は、先ほどとは違いおそるおそる戸口に近寄った。
「大丈夫だって。僕が横にいる」
母は部屋の中をのぞき込んだ。
「やっぱり見えないわよ」
母はやや不満げに父にこぼした。また同時に見えないことにほっとしてもいるようだ。幽霊と聞いて気味の悪い容姿を想像していたのだろう。
「私には見えている。――薄ぼんやりとではあるがね。顔も身なりもきちんとしている。ライニィ、心配することはない。彼らの気配から悪意など全く感じないよ」
「僕には、ウェインよりはよく見えてるのかな? 女の子はエリスと同じくらいの年だ。それに弟かな? かわいい子達だよ。どろどろしたおぞましさなんて感じないのはウェイン同様、ディトゥア神族からもお墨付きってことで」
魔導師とディトゥア神はライニィに言った。
「さ、入ろう」
と、父の目がエリスメアを捉える。彼はにんまりと笑い、すたすたと娘の側に近づいてきた。とっさ、エリスメアは一歩二歩と後ずさりするが、すぐに父の手が彼女の手首を掴んでしまった。
「怖がることなんかなにもないよ? むしろエリスにはどう見えてるのか、僕は非常に興味がある。ほらほらほら」
エリスメアは必死に抵抗するが、父は両の手首を取って娘をずるずるとわけなく引っ張っていく。
(お父さまのばかばかばか!)
エリスメアは恨み言を頭の中で叫ぶしかなかった。
「さ、エリス。着いたよ。目を開けなさい」
父はそう言って彼女の背中をたたき、前に押し出した。エリスメアは観念して両のまぶたを開けた。
――見える。あの姉弟が今、小さく手を挙げた。
(なんだ。怖くなんかないわ。……いいえ、かわいいじゃない!)
エリスメアは素直に思った。怖がることなど何一つなかった。むしろ友達のような親しみすら彼女は覚えるのだった。心の呪縛が解けていくのを感じながら、彼女はゆっくりと右手を挙げて彼らに応えた。姉弟はこくりとうなずく。エリスメアは小さく手を振り笑ってみせる。そうすると向こうもにこりと、親しげに笑いかけてきた。
「……エリスよ、君にはどう見えている? できるだけ詳しく話してもらえないかな」
ハシュオンはエリスメアの頭を撫でながら優しく声をかけた。エリスメアから見えている姉弟の、そのはっきりと見える容姿について彼女は魔導師に告げた。
「そうなのか。どうも私には……輪郭がぼやけて見えている。色合いにしても、エリスメアの言うような色が見えない。白と黒の二色に、わずかながら色が混ざっている感じなのだ。――君はどうか?」
魔導師はその親友に話を振った。
「うーん。僕もこの子ほどは見えてないですね。姿ははっきりと見えてますけど、色までは明確に捉え切れてない。時々微妙に色合いが変わったりするんですよ」
父は首を横に振って答えた。
「……見えないわ」
話題から取り残されてしまっている母はぼやいた。
「ならば、見えるようにしよう」
ハシュオンが術を行使するために右手を挙げようとしたところを父は制止した。
「待って下さい。エリスにやらせてみたいんです。この子には……魔法の素質がある。どうでしょう?」
ふむ。とハシュオンはエリスメアを頭からつま先まで眺め回した。当のエリスメアは呆然と立っている。まさか自分が魔法を使うというのだろうか?!
「よし。でははじまりはこの子にやらせてみよう。死者の実像化は魔導でも高度の部類に入るので、そのあとは私が行う。いいかな?」
父娘はうなずいた。
「ではエリスよ。まずは目を閉じ、彼らの姿を脳内に創りあげるのだ。そして【ウォン】と唱えよ。これは魔導の“はじまりのことば”。魔導の行使にはすべからくこのことばが必要なのだ。終わったら目を開けて、私が言うとおりにしてもらいたい」
魔法の頂点にして封印された魔導を使う。エリスメアはその現実にとまどいを感じながら、ただうなずいた。エリスメアは魔導師の行ったとおり目を閉じ、すぐさま姉弟の姿を緻密に創りあげていく。そして、
【ウォン!】
聞き慣れない音声を発したあと、ハシュオンを見た。
ハシュオンはよくやったと、満足げに微笑みを浮かべてうなずいた。彼はゆっくりと右手を足下から天井へと上げていく。と同時に部屋の中央から緑色に光を放つ糸が一筋出現し、煙のようにゆらゆらと立ち上るのだった。
「――この世界は魔力に満ちている」
伝説の魔導師はエリスメアに語った。
「万物の中に深く内包されている、魔力を帯びた“色”を用いることで魔導は行使されるのだ」
ハシュオンは緑の糸の先を指でつまむとエリスメアの胸の前まで持っていった。
「つかんでみなさい」
言われるままにエリスメアは魔力を持つ糸の先端をつまんだ。ちらとハシュオンを見ると、彼は真剣な表情を浮かべている。
「……先生、これからどうすれば?」
「ああ、つい見入ってしまった。……本当にすごいな。君は――。ああ、まずは魔導の行使だったな。持っている糸をあの子達に向けて投げるのだ。そしてそれが彼らにまといつき、彼らの実像を現すようにと強く念じてほしい」
言われるまま、エリスメアはつまんだ糸をまっすぐ放り投げた。横ではハシュオンも同じ動作をしている。糸は一直線に伸びて姉妹のところまでたどり着くと、彼らの胴体にまとわりついた。ハシュオンが手を小刻みに動かしながらなにごとかを念じる。糸はぴかりと輝きを放ち、そして消えた。
「見えた!」
と母の声。エリスメアから見れば何一つ彼らが変わったところはないのだが、母の様子からして魔導は発動したようだ。
「――無事終わった」
そう告げると、魔導師が大きく息をついた。魔導に携わった時間はほんのわずかだというのに、かなりの精神力を消耗したようだ。
[あら?]
姉の幽霊が声を上げた。とんとんと、裸足で床を鳴らす。
[わ、すごい! からだがある!]
姉は弟と顔を見合わせて喜んだ。しゃべっている言葉はエリスメアには全くなじみのないものだったのに、意味は伝わってきた。
と、姉はエリスメアに手を差しのばしてきた。エリスメアはゆっくりと手を取り、握手を交わす。
[ありがとう。あなたと話ができるなんて、嬉しい!]
姉はにっこりとエリスメアに笑いかけた。弟のほうもエリスメアと握手を交わした。
[あたしはリージ。この子はクレフ。ラサク村の生まれなの。……今のあたし達がどういうものなのか……幽霊だってことは分かってるの。あの時は村のみんな、無事だったのにあたし達だけ死んじゃって……でもその村の人たちも今では生きてない。……さびしかった]
リージは表情に影を落とした。
作品名:小さな、未来の魔法使い 作家名:大気杜弥