赤のミスティンキル
【気付かんか? わしは飛行するものに対する呪縛に食らいつかれた。これは強すぎる。龍のわしをもってしても破れんぞ】
「アザスタン?!」
突然の悪い知らせに二人はぎょっとした。
【……きついな。だが森だけは我が誇りにかけて越えてみせる。そのあとは……】
龍は小さく啼くと速度を落とし、苦しそうに鼻からしゅうしゅうと煙を出した。翼をはためかせるのを止め、広げたままの滑空飛行を続ける。徐々に、ではあるが速度も高度も下がっていく。
「おい、だいじょうぶなのかよ?!」
ミスティンキルはおたおたと慌てた。
【ふん。……戦慄すべき“魔界《サビュラヘム》”に乗り込んだときのことを思えば、この程度大したものではないわ】
アザスタンは負けん気を叩くが、気力体力の衰えはミスティンキルにも見て取れるほど酷いものだ。このままではアザスタンは呪い殺されてしまうのではないか。
しかし――そもそもどれほどの呪いなのだろうか。ミスティンキルはふと思った。魔導を継承した自分ならばもしかしたら解呪ができるかもしれない。
(どれ、どんなものなのか、やってみるか)
ミスティンキルは安易な気持ちで翼を解放しようとした。
「――!!」
途端、耳をつんざく轟音と共に、ミスティンキルの視野が暗黒に染まった。
「ぐ……が……!」
痛い! 今まで感じたことのない奇妙な激痛が、翼から心の臓にまで即座に到達する。翼はちぎれ、身体はばらばらに、心臓は破裂する――錯覚にすぎないのだろうが、ミスティンキルは自分が千々に砕けていくさまを感じとった。たまらず身をよじるが全くの無意味だった。
「――!!」
呼吸ができない! 体力気力が根こそぎ無くなっていく! 自分ではどうしようもできない! “炎の界《デ・イグ》”ですら、自分自身をしっかりと保っていたというのに!
たまらずミスティンキルは翼をしまった。
すると暗黒の世界はまったく元の様相に戻った。ミスティンキルは胸を押さえ、荒々しく息を吐きながら膝をついた。
「ミスト!」
ウィムリーフが彼を抱きかかえた。
「……いや、もう大丈夫だ、ウィム。翼を出そうとするな。呪いに取り込まれるぞ……」
ぜいぜいと荒く息を吐き出しながらミスティンキルは忠告した。
「……おあいにくさまだけど、試してみたあとよ。ぞっとしないわね」
ウィムリーフは苦虫をかみつぶしたような面持ちで言うと、身を抱きしめてぶるぶると震えた。彼女もミスティンキル同様、呪いとやらに挑んでみたのだ。結果二人は、解呪などとうてい及びもしないことを思い知らされた。古来より呪いを解ける魔法使いというのは経験を極めた者に限られているという。魔導を継承したはずの二人をもってしても、対象たる呪いのなんたるかを知らなければ解く事、打ち克つ事はできない。今の二人では呪いの本質に辿り着く前に呪い殺されてしまう。
「魔導王国に残った呪い? ……ヒュールリットはこんな事一言も言わなかった。この呪いはいつから発動し始めたのかしらね?」
怪訝そうな表情を浮かべるウィムリーフは次に、龍に呼びかけた。
「アザスタン! もういいわ! 無理しないで早く降りてちょうだい! あなたの事が心配なの!」
【……】
蒼龍は無言のまま降りる体勢を取る。大いなる力を持つ龍にとっては屈辱に違いない。呪いを打ち破れずに屈するというのだから。それでもアザスタンは冷静さを保ったまま着地する場所を見極め、ちょうどよい広さの空き地に降り立った。
「アザスタン……」
荷物を背負ったウィムリーフは龍の背から飛び降りると、申し訳そうな面持ちで蒼龍を見上げた。
【構うな。どのみち降りるほか無かったのだ】
龍は言うと、龍戦士の姿を象った。
「ごめんなさい。でも徒歩だけで島を行く計画も立てていたし、食料だってちゃんと見越しているわ。……なるべく抑える必要はあるけれど。じゃあ、いいかしら。行くわよ。……こっちへ」
周囲はうっそうとした針葉樹に囲まれているが、ロス・オム山の方角を記憶していたウィムリーフは道無き道を迷わず進み始めた。ミスティンキル、アザスタンが後に続く。周囲には相も変わらず霧によって覆い尽くされ、三人の視界を遮る。
ミスティンキルはふと思い立ち、簡単な術を行使した。赤く小さな光球が三人の前方に現れると、半フィーレほど前方に飛んでいく。
「こんな迷いの森じゃあ、真っ直ぐ進んでるつもりが堂々巡りになっちまうことだってある。あれは正確にまっすぐな位置を指し示す珠だ」とミスティンキル。
「ありがと。ちょっとした獣よけにもなりそうね」
ウィムリーフは彼に微笑み返した。
「もうすぐ、森の出口に行き着くはず。そうしたらひと息入れましょう」
言って彼女は前を向き、ひたすら歩いた。
木々をかき分けて悪戦苦闘しながら進むこと二刻ほど。ようやく彼ら三人は森から抜け出ることに成功した。濃い霧が視野を阻むのは変わらないが、おそらくこの先に湿原地帯が広がっているはずだ。
「ふう……」
ミスティンキルは汗をぬぐうと、どかと地面に座り込んだ。残り二人もそれにならう。言葉にこそ出さないが、疲労困憊していた。
「疲れた? 無理もないか」
ウィムリーフは、自身も大きなため息をついて、漠然と前方を見渡した。
この白い霧の遙か向こう、湿原を踏破し平原を歩き通したその先に、魔導王国の中心部が――目指すオーヴ・ディンデ城がある。
だが。
飛行という手段が失われた今、その道のりは間違いなく険しく危険なものになりそうだ。ウィムリーフは顔をしかめた。