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赤のミスティンキル

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 上陸した彼らが、否、ウィムリーフがまず行ったことは、島の命名であった。今まで名前がなかったこの島の正式名称を、フィレイク王国の由緒正しい地史学会に申請しようというのだ。市井に伝播するには長い時間がかかるだろう。しかしウィムリーフはずいぶんと前から――ひょっとするとこの旅に出ると決意した頃からかもしれない――このことを考えていたようだ。
 彼女はまず、島にある大きな二つの死火山を古のハフト語で名付けた。南西の山を“ロス・ヨグ”、南東の山を“ロス・オム”とした。そして島の名前は“二つの角”を意味する“メリュウラ島”とした。
「どうかしら?」
 目を輝かせているウィムリーフに対し、ミスティンキルは苦笑しながら頷いた。
「ウィムがそうしたいんならそれでいいんじゃねえか。この島は今からメリュウラ島だ」

 古い文献や唄によると、ミスティンキル達が今いる“壁の塔”から南東へ、つまりロス・オムの山の方角を目指して進んでいけば、魔導王国ラミシスの中枢たるオーヴ・ディンデ城がある地へとたどり着けるとのことだ。そこに行くまでの道のりは決して容易なものではない。魔導王国が存在したのは遙か昔のこと。今や島の環境はほぼ自然に還っているからだ。
 かつてこの島を踏破したカストルウェンとレオウドゥールの冒険を語った勲《いさおし》によると、森をくぐり抜け湿原を歩き、居住地たる枯れ野を通り越し平原を闊歩して、ようやくオーヴ・ディンデに至るという。ただし彼らは強力な結界に阻まれて、ついに城にはたどり着けなかった。魔導王国崩壊後、オーヴ・ディンデに入城できた者は誰一人としていないのだ。
 そして今。ウィムリーフは空を飛行して――アザスタンの背に乗って――オーヴ・ディンデへ向かうことを決めた。森や湿原といった自然に阻まれることなく、しかも短時間で到着できるからだ。なんとしてもオーヴ・ディンデへ入城すること。それが今回の冒険行においてウィムリーフが達成するべき第一目標なのだ。魔導をも復活せしめた自分たちの魔法力があれば、オーヴ・ディンデを囲む結界についても、あるいは何とかなるかもしれない。それにほかの場所については、オーヴ・ディンデの調査が終わった後に余裕をもって回っていけばよい。食糧が尽きない範囲で。
 いよいよ明日から、メリュウラ島での探索行が始まる。

◆◆◆◆

 夕方。野営地の設営を終えた彼らは、思い思いの行動をとっていた。
 ミスティンキルは新鮮な魚を夕食にするべく、木の枝で急造した簡易な竿を手にすると、断崖から飛び立って眼下の岸辺に降り立った。四フィーレもの高さを恐れることなく飛び降りることができたのは、ただひとえにひさびさの釣りを楽しみたかったからだ。
 潮のにおいがなんともいえず心地よい。そういえば釣りをするなんて故郷を離れてからとんとしていなかったな、とミスティンキルは思い出した。故郷のラディキア群島沖で、彼ら漁師は日がな一日舟に乗って釣り竿を垂らしていたものだ。凪いでいる沖合でゆったり過ぎていく時間を楽しむこともあったし、無理を押してしけた海に乗り出してひどく後悔したこともある。
(網を張ったり、海に潜ったりなんてこともやってたな)
 このスフフォイル海の遙か西方には、暖かなラディキアの海が広がっている。漁師仲間達は元気でやっているだろうか。今となっては懐かしい日々を、ミスティンキルは素直に回顧できる。嫌なことも多々あったし、それが元で故郷から離れてしまっているわけだが、今更憤慨するには至らない。自分を追い出した者達に復讐してやるという感情も、まったく湧かなくなっていた。
 確固とした力を手に入れたために。そして、得難い相棒を得たために。

 ミスティンキルは針と餌、そして重りを糸につけると海へ向かって投げ入れた。それから岩肌に座り込み、遙か崖の上、“壁の塔”を仰ぎ見る。ウィムリーフがそこで滞空していた。
 ウィムリーフは画材を手にして、“壁の塔”を入念に描写している。魔法学の衰退した現在にあって、これほどまでに大きな魔法図象など他の地方では決して目にすることなどあり得ない――この世界に存在する四つの魔導塔あとを除けば。
 ウィムリーフは一刻ほどかけて丁寧に海側の壁画を写し終わると、今度は裏に回ってまた描き始めた。遙か下方から見上げると、彼女の姿など豆粒ほどにしか見えないが、それでも楽しくて仕方ないさまがはっきりと伝わってくるのだ。ミスティンキルは笑みを浮かべた。

 さて、そんな彼女の熱心な様子を見ているうちに、ミスティンキルも夕食には十分な魚を釣り上げることができたので、心残りながらも釣りを切り上げることにした。魚を入れた網を担ぎ上げると、岸壁の上、野営地を目指して飛び上がっていく。

 夜を迎えると空気が肌寒く感じられるようになった。ここの気候はデュンサアル周辺ともまた違う。人里などないせいだろうか。
 ミスティンキル達は野生の動物達や悪戯好きな鬼どもを寄せ付けさせないために野営地に篝火《かがりび》を起こした。さらにウィムリーフが風による結界を張る。
 そうして得た食事の時は何とも言えず楽しいものだった。久々にアザスタンも龍戦士の姿をとり、三人で魚料理を楽しんだ。

◆◆◆◆

 夜も更けた頃、ミスティンキルは悪夢に苛まれていた。それは忘れ去っていたはずの、かつて頻繁に見ていた夢だった。

 悪夢は白い闇を映す。そしてそのどことも知れない虚ろな靄のかかった空間に浮かび上がってくるのは、やはり昔と同じくミスティンキルの家族達だ。彼らは一様に悲しさと恐れを併せ持った表情でミスティンキルを見据える。彼らの眼差しから目を背けたいと願うが、体はこわばり全く動けない。かつてこの悪夢を見続けていたときと同じく。
 ――二度とうちには戻ってくるな。忌まわしい、赤目のミスティンキル!
 家族の慈悲のない総意が悪意に満ちたひとつの大きな声となって、ミスティンキルの心を打ち砕いた――

(なんで……あんなひでえ夢をまた見ちまうなんて……!)
 ミスティンキルは呪縛から目覚めた。毛布の中で、彼は涙をぽろぽろと流しているのに気付く。
(くそ!)
 彼は上半身を起こして涙をぬぐう。この行き場のない悲しみと怒りをどこに向ければいいのか。手近にある毛布を殴りつけることしかできなかった。多少気が晴れたところで周囲を見ると、ウィムリーフの姿がない。しばらく待ってみたが帰ってくる様子がないので、心配になったミスティンキルはテントから外に出てみることにした。

 断崖の上。果たしてウィムリーフはそこに佇んでいた。彼女を覆い包むのは、彼女自身の魔力である青い光。ウィムリーフは青くほのかに輝きながら、天上の月を身じろぎせずに見つめていた。月は円に近づきつつあり、放たれた月光は海に照らされて妖しくうごめく。聞こえるのは海風の響きと波の打つ音のみ。
 その光景が、触れてはならないもののように美しかったので、ミスティンキルは声をかけるのをためらった。
「――起きたのね」
 ウィムリーフは頭をミスティンキルの方に向け、そう言った。心なしか、彼女の声色はいつもより冷たく感じる。魔力に覆われているせいだろうか。
 ウィムリーフは静かに言葉を続けた。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥