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赤のミスティンキル

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§ 第一章 デュンサアルへの旅



(一)

 満天の星の中、南で一番明るいと言われるエウゼンレームがひときわ青白く煌めいて見える。街では目にすることの少ないツァルテガーンも、その横にはっきりと見える。やはりここが高地だけあって、空気も澄んでいるのだろう。砂の舞う乾ききった荒野を通り過ぎたあとだけに、この美しい夜空の情景は、今の世の平和を象徴しているかのよう。心の奥底にまで染み渡る星々の瞬き。

 空を見上げながら男はおもむろに、ほうっと息を出してみせた。春もまだ早いこの時期は、夜にもなると底冷えがするものだ。白い息はやがて夜の闇の中に溶け込んでいった。
 傭兵の男は、東方大陸《ユードフェンリル》南部へと向かう旅商達を護衛している。アルトツァーン最南部から目的地に至るまで、一月に及ぶ長旅である。この一隊は今日ようやく不毛の地、気候が厳しいことで有名な荒野を越し、夕刻には丘陵の麓へとたどり着いた。さらに丘を登っていきながら一週間を経ると、ようやくドゥローム《龍人》族の住む高地に到着する。
 アルトツァーン王国の産物の数々の到着を、ドゥローム達は今か今かと待っていることだろう。春に訪れる商人達は待ち遠しい客でもあるのだ。冬の間は荒野を猛烈な吹雪が襲うため、アルトツァーン王国への道が閉ざされていたのだから。春一番の商品は決まって高値がつくとはいえ、売れ残ることはない。
 六月にもなれば、あの荒れ狂うグエンゼタルナ海も静まるだろう。それまでの間、商人達は陸路を使い、南部との行商をするのだ。

 あたりはしんと静まりかえり、ただ聞こえてくるのは、篝火にくべた木が爆ぜる音のみ。真っ暗な草原の中では、この炎の赤はさらに美しく見えるようだ。少し離れた場所でぼうっと浮かびあがってくる白は、旅商達の天幕である。
 百人からなる商人達と数多の商品、商人の道先を守る護衛達。一列に並べば五フィーレを越す大隊商である。旅の吟遊詩人や芸人などが交じることは度々あるが、今回は彼らのほかにもさらに珍しい顔ぶれがいた。

 ――東の丘の稜線から半円状の月が顔を見せはじめた。
 あの月がすっかり姿を見せたら、今夜の護衛は次の者に任せることが出来る。故郷を離れて以来、九ヶ月もの長旅を続けてきたというドゥロームの若者に。
 任務の終わりを待ち望む彼にとって、本来白銀の光をほのかに放つはずの月の色が、ややくすぶって見えていることは、さしたる問題ではなかった。

(注釈:一フィーレは約四十五メートル)




(二)

 とりとめのない夢を見ながらも、自分の名前が呼ばれているのを意識したミスティンキルは、浅い眠りからゆっくりと覚醒していった。

 もそりと上半身を起こし、二、三度首を振る。両腕を突き上げ大きく伸びをしてから、彼は目を開けた。うっすらともやに覆われているとはいえ、あたりはずいぶんと明るくなっていた。日が昇って既に一刻は過ぎているのだろう。
 しかしなぜ天幕の中ではなく、草むらに寝そべっていたのだろうか? ゆったりとした白い旅装束にくるまるように寝ていたようだが、暖をとるにはいささか役不足であったようだ。ミスティンキルはくしゃみをひとつ豪快に放った。

 ぱさり、と肩に着物が落とされる感覚。それは雪豹の毛皮だった。
「よう、赤目の旦那。風邪ひくなよ。そいつを羽織っときな」
 ミスティンキルを起こし、毛皮を彼にかけたのは、あごひげを蓄えた中背の旅商だった。男はミスティンキルが寝転がっていた場所にどっかりと腰を落とす。
「お勤めご苦労さん。もう朝だぜ」
 それを聞いたミスティンキルは、ようやく自分の失態に気付いた。ぼさぼさになっていた黒い髪を手で整えながら、旅商の顔色を窺う。
「……すまねえ、ワジェット。思わず寝ちまったようだ」
 暖かい毛皮を羽織り、ミスティンキルは素直に謝った。故意ではないとはいえ、職務を途中で放棄してしまったのだから。
 ミスティンキルの目指す場所は、旅商達と同じ。ドゥローム達の聖地デュンサアルである。単身で荒野を越すのは危険だという相棒の忠告もあり、旅商達と行動を共にしているのだ。元来動き回るのが好きな彼は、食客に甘んじることなく、よく働いた。そして昨日の夜半過ぎから朝の刻に至るまでの間、旅商達を護る任に就いたのだが――突如襲いかかった睡魔には敵わなかった。
 ワジェットという名の旅商は、気にするなと言って、からからと笑った。
「ザルノエムの荒野越えはきついからな。ナダステルから旦那たちが旅をはじめてから三週間だ。おおかた旦那も疲れがたまってたんだろ。俺らだってこのエマクの丘あたりに着くとホッとしてよ。番をしながらたまに寝ちまったりするもんだ。……春も早いこの時期は、まだ盗賊どもや土着の悪鬼どももめったに姿を現さんし、まあ気になさんな」
「すまねえ。これから気をつける。――ところでワジェット」
「ん?」
「赤目ってのはともかく、旦那って呼び方だけはなんとかならねえかな? おれなんぞよりあんたのほうが人生経験ってやつを積んでるだろう? まあ、からかってんだったら話は別だけどな」

 背高の偉丈夫とも言えるミスティンキルの背丈は、四ラクを越すであろうか。ワジェットより頭半分ほど高い。体格も漁師のせがれらしく、浅黒い肌の腕や足はすらりとしていながらも鍛えられた強靱な筋肉がついている。彼の種族――ドゥローム――特有の切れ長の目と、縦に細い虹彩は、野生の猫や豹すらをも想起させる。
 そして――何かしらの畏怖を感じさせる、澄み渡った真紅の瞳。ミスティンキルには得体の知れない力が備わっているというのは、親族からも幼少期から言われ続けてきたこと。
 しかしながら同時に彼は、ようやく少年時代の域を脱したあたりの若者でしかない。また、ちやほやとおべっかを使われるほどにミスティンキルは身分が高いわけでもない。
「旦那って呼び方でいいんじゃねえかと思ってるんだけどよ。あんたが見た目若いからって、からかってるわけじゃねえ。銀髪の嬢ちゃんから昨日はじめて聞いたんだが、あんたは今年で五十歳だっていうじゃねえか」
 ミスティンキルは頷いた。
「けれどおれは、まだ成人したばかりだ」
「知ってる。旦那が成人する記念にこうして旅をしてるって事もな。けど……俺の村では、年上の人間は敬うものだって教えられてきた」
 ワジェットは続けて言う。
「俺はこう見えてもまだ三十二になったばかりだ。赤目の旦那、あんたよりずっと年下なんだぜ?」

 五十という歳はドゥロームにとっては一つの節目である。それは成人すること。
 ミスティンキルが故郷の島を離れてはや九ヶ月、はるばる龍人の聖地にまで旅をしてきたのも成人になるという名目があったからだ、実際にはこの旅は自分の意志にそぐわないものであり、成人というのは旅の表向きの言い訳でしかないのだが。
「そんなこと言ったら、あんたたち旅商が“銀髪の嬢ちゃん”と言ってるウィムだけど。……あいつは五十五だぜ?」
「何い?! 俺のお袋と、そう歳が変わらないってのかよ?! あの娘が?」
 予想していた通りの反応だったために、思わずミスティンキルは、にやりと笑った。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥