赤のミスティンキル
状況が逼迫してるときに限っては、たいていの場合ウィムリーフの堪忍袋の緒のほうが切れやすいのだ。
「さっきも言ったでしょう! あんたが! のうのうと寝てる間に! あたしが! 用心に用心を重ねて! 様子を見に飛んでいったの!」
一言区切るたびに、ウィムリーフは人差し指でミスティンキルの胸部を強めに突く。
「たっ。そんなに怒るなっての! ……ま、そいつはそうと、兵士を指揮してる二人ってのはだいたい想像がつくな。執念深い奴らだ」
こうなった時のウィムリーフには逆らわない方が得策であることを知っているミスティンキルは、ただ悪態をついた。
そして考えた。
自分達に明確な敵意を持っている司と言えば、二人しか思い当たらない。最初にミスティンキルを侮辱した長――マイゼークと、まんまと吊り橋を突破された守人――マイゼークの息子、ジェオーレに違いないだろう、と。
「……で? アザスタンさんよ。おれは連中をゆうに追っ払える魔法を身につけてるわけだけれど、そんなことは出来ねえんだろう? だったらどうするんだ?」
アザスタンは鼻で笑って――次におのが背に得ている翼を広げて空高く舞い上がった。
「ふん。悪知恵の働きそうなお前のことだから、わしがどうするのかおおよそ見当がついているだろうに。……まあ、彼らを殺すわけにいかんだろう? だから“彼らが絶対に納得する方法”というものを実行してやろう。それは、魔法なぞを発動させるより、ある意味痛快なものになるだろうな!」
アザスタンは再び吼え、巨大な龍の姿に戻った。
「ウィム。飛ぶぞ! お偉いさんがわざわざここまで出向く手間を省いてやろうぜ」
ミスティンキルは相棒に向かって不敵に笑った。“絶対に納得する方法”によって、あの二人の司が顔色をなくすのを見るのが、今から楽しみでしかたない。
【なればだ。二人ともわしの後に続け。龍王様と相対した勇敢なる者、そして魔導の継承者よ!】
アザスタンはそういうなり巨大な翼を広げ、一路デュンサアルの麓を目指して飛んでいった。
ウィムリーフは“彼らが絶対に納得する方法”とは何なのか、的を射ていない様子でありながらも、飛び上がり、蒼龍の後に続いていく。
ミスティンキルは――物質界で滑空するのは生まれて初めてとなる。勢いよく身体が宙に放り出されたかと思うと、あらぬ方向に飛んだり、落ちそうになったり。いろいろと滑稽な姿をさらして四苦八苦を繰り返しつつ、なんとか二者の後に続いていく。やがて見かねたウィムリーフが彼の手を取り、翼を使った飛び方というものを教えていくのだった。
アリューザ・ガルドに帰還した二人と、炎の界から転移した龍は、こうしてドゥロームの聖地デュンサアル山を後にした。
◆◆◆◆
ミスティンキル達がマイゼーク達と対峙しようとしている、その同じ刻。
世界東南の地デュンサアルから遙か離れたこの場所においても、魔導復活の物語に関係するであろう人物が動こうとしていた。
暖炉のある部屋でひとり、安楽椅子にもたれかかって茶の香りを楽しんでいたその老人は、周囲の空間に異変が生じたのを察知した。案の定、彼のすぐ横の空間の一部が黒く染まり、細かな電光がその周囲を覆う。
だがその異変は、この老人にとっては驚くに値しないこと。“彼”が次元を越えて出現する兆候だ。老人は茶を一口含むと、ゆっくりと香りを楽しんだ。
「……無事に帰ったか」
白髪の老人は、まなじりにしわを寄せて友人の帰還を喜んだ。
空間の闇の中からひとり、細身の青年が姿を現した。
「どうも。意外とすんなり話が通りましたよ。いや、思ったより話せるお方だったようでねえ」
老人の友――癖のある金髪が映える青年は、相も変わらず穏やかな口調でそう返答し、円卓脇の椅子に腰掛けた。老人は青年と向き合った。
「……ああ、今日はいい天気だ。こんな日はあのニレの木のもとでタールでも弾きたくなるな」
青年は窓の外の景色を眺め、楽器を弾く仕草を見せる。その口調はさわやかなものだった。昨日“炎の界《デ・イグ》”へと旅立つときは、やや緊張の色が見えていたというのに、今は全くそれを感じさせない。
「うん。よかった。無事に“色”が戻ったようですね。ほら、離れの館を見てください。昨日まで病気のように褪せていたツタが、見事に緑の色を取り戻していますよ」
青年はにこやかに微笑むと、卓にあった瓶を手に取ると、手元のカップに茶を注いだ。
「今朝未明に色の流れは本来あるべき摂理に戻ったのだよ。だが、それと同時に、魔導も復活した……これは間違いないのか?」
老人が身を乗り出して訊く。
「ええ、あなたの言ったとおりでしたね。色が褪せていった――これは魔導と深い関わりがあるものであり、当世において最も優れた魔力を持つ者が事態の収拾にあたるだろう。しかしそれはあなたやあの子ではない……ってことがね。事にあたったのは全く別の人間です。その人間がこれから運命を切り開くのか、それとも弄ばれるのか――それはその個人の行動いかんによって変わってきてしまいますが」
「なるほど。だが、私の存命中にその者が現れたのは幸いだ」
老人は目を閉じると大きく息を吐いて、言った。安堵という名の穏やかな空気が彼ら二人を取り囲む。とりあえず、事は成就したのだからよしとするべきだろう。老人は続けて言った。
「魔導の力は諸刃の剣。しかるべき者が扱うべきだ。運命に弄ばれるような意志の弱い者に魔導を任せておく訳にはいかない――“魔導の暴走”の再来だけは避けねばならないからな」
彼の持つカップが震えているのは、彼自身が恐れをなし、震えているからだ。“魔導の暴走”を知る、数少ない者の一人だから。
「これは早々にも旅立たなければならないでしょうね。龍王イリリエンが言うには、“彼ら”はドゥロームの聖地、デュンサアルにいるっていうんですから」
「デュンサアル……あまりにも遠いな。“ここ”からもっとも離れている場所ではないか……。私が出向くには少々厳しいものがあるが、やむを得ぬか。魔導を解き放った者に会いに行かねばならぬ」
「いや。ここは僕が行きましょう。あなたにとってはあまりにも長旅になる。必ず、身体に障ることでしょう。あなたはここで待っていてください」
老人はしばし考え込んだ。そして口を開く。
「……失礼だが、君は魔導についての知識はほとんど持ち合わせていないはずだ。君がデュンサアルまで転移するのはそう時間がかからないだろうが、帰路はどうする? その地にいる魔導の継承者は、人間だ。君と同じ道を通って私の館までたどり着くことなど出来ないだろう。そうすると帰りは……陸路と海路あわせて……少なくとも三ヶ月以上の時が必要だと思うのだが、もしその間に、かの者それと知らず身勝手に強力な魔導を発動させてしまったとき、君ひとりで抑え込めるか? やはり私が……」
青年は、カップを卓に置いて答えた。