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赤のミスティンキル

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 そのとてつもない出来事に今、真っ向から対峙しているがために、かつて無いほどに緊張はいや増し、自然と鼓動が早まっていく。手足を流れる血潮の音すら聞こえるようだ。
 だが、それと共にミスティンキルは、自分の内に秘められた赤い魔力が徐々に膨張していくのを感じていた。膨大な力が沸き上がり気分を高揚させていく。
 そして申し合わせたかのように――二人は同時に跳ね上がった!




(三)

 ミスティンキルの全身にみなぎった魔力はついに、体外に放出されはじめた。純粋な真紅の魔力は、持ち主の強靱な肉体に薄い衣のようにまとわりつくと、いよいよ鮮明に色づくのだった。あたかも彼の魔力が、天蓋の向こう側にある大いなる魔力と共鳴するかのように。
 ミスティンキルの真正面にはウィムリーフがいる。彼女もまた、今やそのすらりとした身体全身を純粋な青い魔力でまとっていた。ウィムリーフを包む魔力の彩りは、ミスティンキルのそれと比べれば、やはり僅かばかりながら劣っていた。だが“風の界《ラル》”の王エンクィ直々にその力を認められただけあって、アリューザ・ガルドに現在するいかなる術使いをしても、彼女の魔力を越える人間は存在しないのだろう。
 青い色に包まれた銀髪の翼人の背中には、二枚の純白の翼が鮮明に顕現し、左右に大きく広げられていた。さらに、月面から目映く放たれる白銀の光が、ウィムリーフの青い衣装と白い肌、それに群青の瞳をもひときわ美しく鮮やかに映し出すのだった。
 一瞬ミスティンキルは、対峙している彼女がまるで別人であるかのような奇妙な錯覚にとらわれた。しかしウィムリーフの青く大きな瞳は、好奇心溢れる彼女ならではの意志の強さを物語るように、きらりと輝いていた。ウィムリーフの瞳を見て、ミスティンキルも安心する。

 ミスティンキル自身もまた、背中に龍の黒い翼を得ているのを自覚していた。ウィムリーフから見れば、彼のまとう真紅の魔力の膜と、生来持つ赤い瞳だけが異様に輝いて映っているに違いない。
 黒い髪と龍の翼、露わになった褐色の肌と、放たれた真っ赤な力。かたや青い膜に包まれたウィムリーフは、銀の髪と群青の瞳、そして白い羽根と肌の持ち主。対峙する二人は、その何もかもが対照的と言えた。
 だが、二人の想いは同じ。変わることのない互いへの愛と、そして――使命感。龍王イリリエンから自分達に課せられた使命を成し遂げるということ。
 二人は翼をはためかせてさらに舞い上がり、ついに分厚い円盾の蓋に二人の手が届くほどの位置にまで近づいた。

 二人はまじまじと、重厚な蓋を見つめる。この大きな円状の蓋は、鏡面仕上げの銀皿のごとくつるりとしているようだが、鈍色に曇った表面は周囲の情景の何ものをも映し出さず、月の光を受けて時折きらりと光るのみだった。
 だが、この蓋をしらみつぶしに調べても、開けるための取っ手らしきものはどこにもない。ならば、どうやって開ければいいというのだろうか? ミスティンキルは思案するも、結局答えが浮かんでこない。ウィムリーフも、ただ首を横に振るばかりだった。
 意を決したミスティンキルが恐る恐る右手を伸ばし、表面に指が触れたその時だった。

 ――「魔導のすべを、解放するときが来たというのだな」

 男のくぐもった声が、蓋の向こう側から聞こえてきた。

◆◆◆◆

「そうだユクト。この間イーツシュレウが言ったとおりだ。いよいよ時は満ちたのだよ」
 下方から、イーツシュレウが声をあげてきた。
 しばらく、沈黙が周囲を包む。ミスティンキルもウィムリーフも、蓋の向こう側の声がどのような反応をするのか、待っていた。

――「……人よ。君の持つ魔力が強大なことは私にも分かる。私もかつて魔導師と呼ばれた身ゆえに。しかし人よ、君には魔導の封印を解くということの重要性が分かるか?」

 と、男の声。
「あんたは、“魔導の暴走”というやつを知っているんだろう? おれは、吟遊詩人の歌でしか聞いたことがないけれども、あれが本当に起こったっていうんなら、魔導のすごさが少しは分かる様な気もする」
 ミスティンキルは訊いた。ややあって、男の声がした。

――「そう。私は当時まさにその渦中にいた魔導師の一人だ。魔導とは、魔法体系の頂点に位置するものである。が、強大な力というものは諸刃の剣であり、それは魔導も同様。魔導が及ぼす力とは、下手をすれば世界そのものをも危うくしてしまうほど強大なものにもなりかねない。――かつての“魔導の暴走”のように。だが時は移り、魔導の封印は別の問題を起こしてしまった。それが今、君達が直面していると聞いているアリューザ・ガルドの色のことだ。……魔導の封印を解くというのならば人よ、私ユクツェルノイレと約束をしてほしい。決して……決して、過去の災禍を再び招くような愚挙を犯さない、ということを。……どうか、これだけは守ってほしい」

 魔導師ユクツェルノイレと名乗るその声は、七百年前に自身が体験した出来事――“魔導の暴走”の大惨事を思い起こしたのだろうか、哀しみに震えた声で言った。
 使命を託されている二人は顔を見合わせ、次に下方から二人を見上げている“自由なる者”の顔を見て――三人して頷いた。彼らは今、“歴史を動かす”という決意を確認したのだ。
「……おれの名はミスティンキル。ドゥロームだ。おれは……そうだな、龍王イリリエンに誓って、あんたの言った言葉を守る」
「あたしはアイバーフィンのウィムリーフ。ウィムリーフ・テルタージと言います、魔導師様。……あたしは、風の王エンクィの名の下に、あなたが今おっしゃった言葉を胸に刻み込み、遵守することを誓います」
「……ユクトよ、聞いてのとおりだ。ならばだ。この“自由なる者”イーツシュレウが、ディトゥア神として証人になろう。我らが長イシールキアの御名をお借りして、ミスティンキル、ウィムリーフ二名の言葉、人間の宣誓として確かに聞いたぞ!」

◆◆◆◆

 ぴしり、と音がした。重厚な天蓋の中央部にわずかに亀裂が入ったかと思うと、それはみるみるうちに蓋全体に広がりゆき――薄氷が砕け散るような、しゃらんという軽い音と共に、重厚な蓋は崩れ去り、月の空気に触れたと同時にすぐさま融けて無くなった。
 蓋が消え失せたその向こう側は――正しく言えば“何ものも存在しなかった”。あえて表記するとすれば――無理やりねじ曲げられたのだろうか、いびつに歪んだ“澱み《よどみ》”の空間が“あった”――としか言いようがない。
 この常軌を逸した空間は果たして、魔導の封印を行うために月の世界に赴いた当時の魔導師達が、持てる魔力と叡智の全てを振り絞って創りあげたのか、もしくは――これもまた星々の数だけ存在する諸次元の一つなのかもしれない。推し量ることすら困難だが、明らかに分かることが唯一ある。それはあの“澱み”に無防備に立ち入れば、ただでは済まないだろう事、のみ。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥