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赤のミスティンキル

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 そして、月面の白銀と空の黒を分ける地平線は、ミスティンキルにとって見慣れないかたちを取っていた。右端から左端に至るまで、奇麗に円弧を描いているのだ。アリューザ・ガルドでは、このような地平線を見ることなど決してあり得ない。ミスティンキルが海に出ていたとき常に見ていた水平線は、どこまでも平らに続いている。世界に果てというものがあるとするのならば、おそらくそこに至るまで平らかに伸びていくのだろう。

 だが、この月は違う。察するにこの世界は、どうやら球状を象っているようだ。アリューザ・ガルドから見上げる月は、美しい円を描いている。その見たとおりのかたちを、月の世界は持っているのだ。
「たまげたもんだな。月っていうのは丸い世界なのかよ」
「アリューザ・ガルドに戻ったら、すぐに冒険誌を書き上げなきゃ、ね!」
 ウィムリーフはやや苦しそうに言葉を返す。大柄なミスティンキルの身体を引っ張りあげるのは、やはり難儀なことなのだろう。
「さっきあの子――イーツシュレウからいろいろ聞いたんだけどね。たとえば月の世界は、“幽想の界《サダノス》”つまり死者の国と“次元の門”によって繋がっているとか、ミストも言ったように丸い世界なのに落っこちないとか……“炎の界《デ・イグ》”からこのかた、驚くことばっかり続いてるもんだから、戻ったらデュンサアルの宿でもいい。とにかく忘れないうちに全部を書き留めておかないと」

「ほかにも色々ある。例えばほら、ここ一帯のように自ら光り輝く大地がある一方、この裏側の半球は光を放たない。アリューザ・ガルドから見上げる月の姿が常に移ろうのは、そのためだよ。月とアリューザ・ガルドとは毎夜ごとに次元が繋がるんだが、月の位置は日々変化している。……そしてアリューザ・ガルドから見れば、間もなく満月が姿を現すことになるんだろう。それはこの月ともっとも密接に繋がる夜だ」
 二人のやや斜め上前方では、イーツシュレウが滑らかに浮遊している。“自由なる者”を名乗る少年、その実は見かけよりはるかに年を経ている栗毛の彼は振り返り、柔和な子供らしい声色で語った。
「アリューザ・ガルドの龍人、ここ月の世界は、どうか? イーツシュレウがここに来てすでに千年近く経とうとしているが、この美しい光景には飽きることなど無いものだよ。月の住人――精霊達も楽しませてくれるしな」
「……なあイーツシュレウ。あんたが、この月の世界の支配者なのか?」
 ミスティンキルは、あどけないかんばせを持つ少年に向かって訊いた。
「違う。月は精霊達の故郷であって、とくに支配者などはいない。それにイーツシュレウは“自由なる者”。その名のとおり、何ものにも縛られず、また司らない。そのような者は、数多いるディトゥア神族にあって、このイーツシュレウだけだろうけれど」

 ディトゥア神族!
 驚いて顔を見合わせる二人。無理もないことだ。ディトゥア神族の中には人前に姿を現す者もいるが、神族であるということを気取られないために、自らの神気を露わにすることは滅多にないものだし、そもそもディトゥア神族と出会った人間自体少ないだろう。
 ミスティンキルとウィムリーフは、まるで惚けたかのように栗毛の髪の子供を見上げた。対するイーツシュレウはそんな彼らの様を見て、面白そうにくすりと笑うと言葉を続けた。
「……何ものも司らぬということは――おのが持ち得る力の限りにおいてだけれど――神としての力を自由に使えるということ。だからだ。かつて“自由なる者”イーツシュレウは望んでこの世界に来た。膨大な魔力の封印を見守るために」
「で、ではイーツシュレウ様! ならば今こそ、その封印を解くときなのです。……あたしたちが住むアリューザ・ガルドが色あせてしまったのは魔導の封印が原因だと、“炎の界《デ・イグ》”の長、龍王イリリエン様から聞いています。だからこそ、あたしたちがここに来たわけで……」
 ウィムリーフの口調が先ほどまでとはがらりと変わったことに、ミスティンキルは苦笑を漏らした。分からないでもない。あの小柄な少年が、その実は神々のうちの一人だというのだから。だが、厳格な龍王イリリエンと比べれば、目の上を浮遊するこの少年神は、はるかに穏和な性格をしているようだ。
「しかしさ、イーツシュレウ。ディトゥア神族だってんなら、わざわざおれたちがここまで来なくても、あんたがさっさと封印を解いちまえば事は収まったんじゃないのか? それだけの力は持っているんだろう?! ……痛てて……ウィム……」
 ウィムリーフの言葉に、間髪入れずにミスティンキルは言った。それに対して、神様に対してなんて口の利きようなの?! と言わんばかりに、ウィムリーフは彼の両手首を強くつねりあげるのだった。吊り下げられる格好を強いられているミスティンキルにはなすすべがない。
 だがイーツシュレウは、とくに気分を害したようでもなさそうだ。
「龍人。君の言い分も身にしみて分かる。けれどもそれだけは……出来ないんだ。“自由なる者”イーツシュレウだって、ディトゥアとしての役割を越えた権限を行使することは叶わないから。偉大なるアリュゼル神族が、世界の存在そのものをもたらす。われらディトゥア神族はアリュゼルに臣従し、それら世界の各事象を司る。……アリュゼルやディトゥアの神々のなかには、単体の事象に束縛されない例外もおろうが、数は少ない(冥王ザビュールや宵闇の公子レオズスのようにな)。だが君たち人間が創造されて以来、運命を切り開き“歴史”という物語を紡ぎゆく役割を担うのは、大概において人間のみなのだ。だからイーツシュレウにたとえ力があろうとも、魔導の封印を解くことは、してはならない。……まあ、本音を言ってしまうとだ。なんにも出来ずに手をこまぬくしかないというのは、イーツシュレウとしても歯がゆいことなんだがな。実に……」
 イーツシュレウは腕を組んで顔をしかめると、もっともらしくうんうんと唸ってみせた。

 ――我らやディトゥアの神々は、いかなる世界の潮流に対しても、自ら率先して新たな流れを作ることを禁じ手としている。運命を切り開く役割というのは、唯一人間のみ有しているのだ――
 そういえば、龍王も同じようなことを言っていたのをミスティンキルは思い出した。
 先ほど湖中に落下しずぶ濡れとなったミスティンキルは、衣服から伝わる水の冷たさのためではなく身震いした。
 自分自身が運命を切り開こうとしている。歴史を紡ごうとしている。おそらく後に編纂されるであろうウィムリーフの冒険誌によって、自分達の名前は世界中を駆けめぐるに違いない。増長しようとする生来の性分を何とか抑えながらも、高ぶる快感は収まらない。そのためにミスティンキルは震えるのだった。

◆◆◆◆

 そうしているうちに彼らは塔の頂へとたどり着いた。白を基調としていながらも、時折虹色の光沢を放つ、真珠の床に降り立った。この尖塔はその名の通り、上るにつれて筒が狭くなっており、ここ頂上部は下層部からするとはるかに小さい。安宿の二部屋分ほどの中にすっぽりと収まるのではないかとすら思える。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥