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赤のミスティンキル

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 荒ぶる息をなんとか整えて、再び塔を目指して進もうとしたその時、足下の湖面がこれまでにないほどにまばゆい光を放ちだした。湖面だけではない。水晶のように煌めいていた月面一帯が、突如として強く輝き始めたのだ。ミスティンキルは白銀の光に眩惑され、それまでなんとか保っていた集中力をついに途切れさせてしまった。
 当然の結果として、翼は羽ばたくのをやめ――ミスティンキルはなすすべなく、眼下に黒々と広がる湖面に向けて真っ逆さまに落ちていくのであった。

 ミスティンキルの身体は水面に叩きつけられ、彼はそのまま水中深く沈み込んでいく。すると、湖底もまた地上の様子と同様に硝子質の岩肌が広がっているのが知れた。アリューザ・ガルドでは目にすることの出来ない幻想的な水中の世界。
 だが、岩肌は燦然と光り輝きはじめた。ミスティンキルは眩しい光をまたしてもまともに見てしまった。たまらず彼は目を覆い、急いで浮かび上がった。
 ミスティンキルは飲み込んだ水をはき出すと、立ち泳ぎしながら、前方に高々と屹立する塔を恨めしそうに見やる。
 あの純白の塔は、磨き上げられた真珠で出来ているのだろうか。ミスティンキルが旅の途中で通り過ぎた王国――西方のファグディワイスやフィレイク、そして東方の大国アルトツァーン――のいかなる城の塔とも趣を異にしている。またこの真珠の塔は、人間達の建造した建物とは比べものにならないほど高くそびえ立ち、また、いかなる芸術家をもってしても表現しようのない精緻さと美を併せ持っていた。塔には至るところに小窓が開いており、時折その内側から小さな影が見え隠れするのだった。彼らは、この世界の住人なのだろうか。
 そして、何気なく塔の頂上を見たとき――。

「……!!」
 ミスティンキルの全身は一瞬にして鳥肌立ち、硬直した。湖水の冷たさゆえではなく、塔の頂上から感じられる圧倒的な力によって。先の龍王の厳格な神気ともまた違う、超常的な力が一つところに凝縮し存在しているのが感じ取れる。その力こそが、封印された魔導に他ならないことをミスティンキルは直感した。
 ウィムリーフはすでに龍戦士アザスタンに導かれ、魔導の封印されていた場所に到着していたのだ。だがミスティンキルの感覚は、未だに魔導は解かれていないことを告げる。
 塔の頂上に見えている巨大な円形の蓋が、幻想的な情景の中にあってさらに異彩を放っていた。その鈍色に輝く重厚な蓋は、塔の柱から吊されているわけではない。上空に留まっている、という表現が正しいのだろうか。
 あれは上空の一部を封印しているのだろう、ぴったりと固着して動く様子を見せない。重々しい蓋の向こう側に、魔導のすべが結集されて封じ込められているのだ。あの巨大な蓋をこじ開けたその時こそ、大いなる魔導は解き放たれる。そして、“色が褪せる”という、アリューザ・ガルドの異変は収まるのだ。

 ミスティンキルは塔の頂を目指して再び飛び上がろうとしたが、出来なかった。彼の翼は疲労のあまりもはやぴくりとも動こうとしない。ミスティンキルは舌打ちした。
「ちくしょう。あともう少しだってのに、使えねえ翼だ! こうなったら泳いでいくほかなさそうだな……ちょっと距離があるのが辛いけど、この程度だったら泳げるな」
 その時、声が突如、頭上から聞こえてきた。
「……この湖を泳ぐだって? どんなに自信があるか知らないけれど、やめておいた方がよいぞ。ここに棲む強欲なワニクジラに食われて、その腹の中で過ごしたいと望むのなら別だけれどな」
 ミスティンキルが真上を見上げると、空中に二人の人物が立っていた。彼に声をかけたのは、まだ年端もいかない、あどけない少年のようにみえた。奇麗な栗毛色の髪を肩のあたりでそろえた小公子は、まるでアルトツァーン貴族のように膝元まで覆う濃紫の上衣を羽織っていた。
 そして隣で滞空しているのは――。
「ずいぶんと遅かったじゃないの、ミスト。すっかり待ちくたびれちゃったわよ」
「ウィム!」

 この時、ようやくミスティンキルは心の底から安堵した。
 自分にとってかけがえのない少女にようやく再会できたのだ。彼女の銀髪は、月光を浴びてさらに美しく光り輝く。
 ウィムリーフは湖面に足先をつけて軽やかに静止するとかがみ込み、ミスティンキルに両の手をさしのべてきた。
 ずぶ濡れのミスティンキルもまた手を伸ばし、彼女の掌中を流れる血潮を感じ取れるまでに、固く握りしめるのだった。この暖かみをもう逃したくないと、ミスティンキルは強く思った。
「痛いってば……ミスト……ひゃっ?!」
 水中から引き上げられたミスティンキルは、彼女を強く抱きしめたのだ。普段めったに露わにすることのない、愛おしいという感情を、今はウィムリーフにすべて受け止めて欲しかったのだが――。
「冷たいっ……ちょっと! そんなずぶ濡れのままひっついてこないでよ!」
 対するウィムリーフの仕草はつれないものだった。
(こいつときたら……おれがどんなにお前に会いたかったのか……! そんなこと分からねえだろうなあ……)
 思いの丈をウィムリーフにぶつけるつもりだったミスティンキルは、すっかり毒気を抜かれてしまった。だがせめて彼女の背中に手を回し、冷たいと喚くウィムリーフの声をよそにさらにきつく抱きしめ、そして離れた。
「ふん、……ばか」
 離れ際にそのように耳元で囁く彼の憎まれ口の真意は、ウィムリーフに伝わるだろうか。

「ばかって……まあ、いいわ。あんたの言葉の足らないところは今に始まったもんじゃないものね。……あたしは塔で待っていたのよ。そしてようやっと、ミストの気配が感じられたから、来てみたんだけど……ここで水浴びしてたってわけなの?」
「……違う。誰が好きこのんで服着たまま飛び込むかよ。ここまで何とか飛んできたんだけれど、力尽きて落っこちたんだ。どうやらおれは、ウィムみたいにはうまく飛び回れないらしい。……おれを引っ張っていってくれねえか?」
 ウィムリーフはしようがないな、というような柔らかな表情を浮かべると、ミスティンキルの両手を掴み、見えない翼を羽ばかせて舞い上がった。
「時はいよいよ満ちたようだな。ついてこい龍人。イーツシュレウが案内するぞ」
 不思議な薄墨色をした瞳をミスティンキルに投げかけて、その少年――イーツシュレウはあたかも氷上を滑るようにして、空中を歩く。目指すは、魔導が封じられた真珠の塔の頂上。

 長かった不可思議な冒険行も、ここに来てようやく終わろうとしているんだ、とミスティンキルは感慨にふけるのだった。
 さらなる物語は、これから紡がれていくのだが、それはもちろん今のミスティンキルの知るところではなかった。




(二)

 ウィムリーフの手に引っ張り上げられつつも、ミスティンキルは周囲の様相を見やった。ウィムリーフが翼をはためかせて、尖塔の頂上に向け舞い上がるにつれ、月の世界の容貌がよく見て取れるようになる。まばゆく光り輝くこの月世界の様は、たとえるなら白銀の発光体を内部に持つ貴重な鉱石、青水晶《リフィ・バルデ》が極限まで光り輝き、世界の一面を覆い尽くしているかのようだ。
作品名:赤のミスティンキル 作家名:大気杜弥