赤のミスティンキル
波が退くように彼の感情が静まっていくにつれて、それまで身体に浮かび上がりまといついていた赤い力は、再び体内の奥底へと戻っていった。そしてそれと共に、かつて自分が交わした約束の言葉の一節を思い出した。
――ただひとつ、わしと約束をしてくれ。今後どのようなことが起きようとも自分の力を否定せず、かつ増長しないことをな――
デ・イグに赴くにあたって“炎の司”達の館を訪れた際に、彼らとの間にいざこざが生じた。それを収めた司の長老エツェントゥーが、ミスティンキルに言った言葉であり、また約束事であった。
(エツェントゥー老……。どうやらおれは司の資格を得て、すっかりいい気になっちまっていたようです。これから魔導を解き放ってさらに力を得ることを夢見て……しまいには龍化だって簡単に出来る、そう思いこんでました。……おれは激しやすい。もっと、落ち着かなきゃならないのか……出来るのか、このおれに……?)
【真紅の魔力を持つミスティンキル。再び会う時を楽しみにしているぞ。さあ、今は行け。そして待ち受ける運命と対峙するのだ】
龍化が叶わなかったことに対して、ミスティンキルは後ろ髪を引かれる思いだったが、それでも思い直して答えた。
「また、来ます」
その表情は晴れやかだった。
ミスティンキルは翼をはためかせて飛び上がると、躊躇うことなく天上の門をくぐっていった。
(待ってろ、ウィム! おれも今から行くからな!)
こうして次元を跳躍するための“ことば”を放ち、ミスティンキルは転移していった。
◆◆◆◆
血気にはやる若者が門の向こうへと消え去ると、龍王の周囲の空間はゆっくりともとの姿に戻っていく。四界の事象が結集した、美しく幻想的な情景へと。
一息つくかのように、龍王は炎を帯びた息を鼻から吹き出すと、おのれの周囲に繭のような炎を形成し始めた。
しばらくのち、月と繋がる門の向こうから一つの姿が現れた。龍王に仕える戦士、アザスタンだ。彼は門から舞い降りると、イリリエンの胸先近くで滞空し、恭しく一礼した。
【ただ今、戻りました。“風の司”の娘ウィムリーフを、“自由なる者”イーツシュレウ殿のところまで案内しておりましたゆえ、少々遅くなりましたが。……あの赤目の奴はどうしました? 龍化を果たしましたか?】
蒼龍の戦士は言った。
【龍化は叶わなかった。しかしあれもまた今し方、月へと赴いていった。アザスタン、おぬしまた道先案内をつとめるか? おそらくミスティンキルは、門を抜けた先に娘が待っているものと思いこんでいるぞ】
いいえ、とアザスタンはかぶりを振った。
【あやつならばなんとかしてウィムリーフのもとにたどり着こうとするでしょう。どうやら、お互い引き合わせるような力を持つようですので】
イリリエンは目を細めて小さく息を吐いた。
【ほう。そこまで行動を読みとるとは、ぬしにしては珍しく人間に興味を示しているな。なぜか?】
【あの娘に触発されたためでありましょうか。相手が龍《ドゥール・サウベレーン》であるからといって怖じ気づかない態度は見上げたものです。それでありながら礼儀もわきまえている。あのアイバーフィンをたいそう気に入りました】
【ではミスティンキルはどうだ? あれは以前のぬしのことを想起させるほど似通っている。ぬしがはじめて我がもとに来た時を思い出すわ……】
【あやつなどは、どうでもいいことです。奴はものを知らなさすぎる。龍王様に対しても、無礼な口を叩きおって!】
アザスタンは言い捨てた。かつての青臭かった自分も、やはり向こう見ずで血気盛んであったことを思い出したためなのだろう。
猛き蒼龍アザスタンはもともと、龍化を果たしたドゥロームだ。遡ること千四百年も昔、すでに“炎の司”としての地位を持っていた若き戦士アザスタンは、“炎の界《デ・イグ》”での試練で辛酸をなめた末にイリリエンのもとへたどり着いた。自分の持つ力がどれほどのものなのか、龍となるに相応しいか、試したかったのだ。
しかしイリリエンの与えた試練に打ち勝つことが出来ず、かろうじて命のみを留めてアリューザ・ガルドへと帰還した。それからしばらく時が流れ、アザスタンが司の長となるまでに鍛練を重ねたあと、再び彼は“炎の界《デ・イグ》”へと赴き、ついに龍化の資格を手に入れておのが身を蒼龍と転じた。
冥王降臨の暗黒時代には、イリリエンと共に“魔界《サビュラヘム》”に乗り込んだが、この時にはよく龍王を守護した。その功労もあって龍王の側近に抜擢されて、二振りの剣を持つ龍戦士としての姿を象るようになり、今に至っている。
では、あの赤目の若者は、今後どのような人生をたどっていくのだろうか?
ウィムリーフのみならず、ミスティンキルにも興味が湧いているということを、悔しくもアザスタンは認めざるを得なかった。性格が似た者ゆえに疎ましく感じられる一方、力を持つ者同士ゆえに惹かれるというのだろうか。
【……龍王様。しばらくの間、私はおいとまをいただきたく存じます。久方ぶりに、アリューザ・ガルドへ行きたいのです。彼らの動向を見据えるためにも】
決意を胸に、アザスタンは上奏した。
【――いよいよ運命は廻りだし、“物語”が始まる――】
預言者のごとく、龍王は言う。
【……よかろう、アザスタン。私の目の代わりとなって、あの者達の紡ぐ物語の行く末を見届けるのだ】