赤のミスティンキル
ミスティンキルの切実な願いとは裏腹に、龍王は厳しい口調で言った。
【それはならぬ。エウレ・デュア《はらからの子》。龍化の試練を望んだ者が、自ら資格を放棄することは許されぬ。ぬしが龍となるに値する者かどうか、イリリエンが見極める。……だが、どうやら今のぬしには困難とみえる。そら、ぬしの心に渦巻いている感情は何だ? 孤独に対する恐怖か? 私に対する憤りか?】
図星をつかれたミスティンキルは顔をしかめた。
一方のイリリエンは、なおも問いかけてくる。
【さて、ぬしの持つ色がよう見えるわ。まことに赤き色を持つ者よ、ぬしは赤き色に何を想うのか?】
「おれにはそんなことよりも……!」
ミスティンキルは焦りと苛立ちを露わに返答した。
【今は私の問いに答えよ! ぬしは、答えなければならない!】
龍王は有無を言わさないほどの強い圧迫感を放った。龍《ドゥール・サウベレーン》の言葉それそのものに力があることを、あらためてミスティンキルは思い知るのだった。
重圧をまともに食らった若者の体は金縛りにかかり、まったく動けなくなった。出来ることと言えばただ、小さく舌打ちをして顔をしかめ、悪態をつくくらいのものだ。
この場に及んで龍王はなぜ謎かけなどをしてくるのか、ミスティンキルには理解できなかった。龍化の試練を早いところ終わらせる必要があるというのに。そしてウィムリーフのもとに行き、彼女の顔を見て、安心したいのだ。今の自分が滑稽なまでに狼狽しているのが分かるが、裏返して言えば自分にとって彼女の存在こそ本当に大事なものだったのだ。今、ミスティンキルにはそれがはっきりと分かった。
だというのにイリリエンは謎かけなどをして無駄に時間を長引かせているだけではないのか?
(邪魔者め!)
ミスティンキルは強い憤りを覚えた。
(赤い力に何を連想するのか、だと? それは……そう、激しく燃える炎だ! おれの持つ魔力を解放して、この偏屈な龍王様に一泡吹かせてやりてえもんだ!)
そう思った途端、ミスティンキルの全身から赤い輝きが放たれるようになった。身体の奥底に息づいている多大な魔力が現れようとしているのだろうか。怒りという激しい感情とともに吹き出す魔力は、さぞかし強烈な威力をもって発動されることだろう。司の長の館で魔力を顕現させた時と同じか、それ以上に。
「おれにとっての赤とは、炎だ。真っ赤に燃えさかる炎だ!」
ミスティンキルは宣言した。
◆◆◆◆
だが、そんなミスティンキルの心の奥底を射抜くような黄金色の瞳がきらりと輝く。
【……なるほど。ぬしにとっての赤とは業火に他ならないというのだな? そして炎をもって、おのが力がいかに多大なものかを示しさえすれば、この私に認められると思ったか】
龍王に心を読みとられたと悟ったミスティンキルは動揺するが、それでも小さく頷いた。
【甘いな。そもそも炎は、赤という事象の持つ象徴のひとつに過ぎぬ。それに龍化の試練は、ぬしが考えるような生半可なものではないと知れ!】
イリリエンは声をくぐもらせて笑い――次にその巨大な口を、ミスティンキルに向けてがばりと大きく開いた。巨大で鋭利な牙が並ぶ口内のさらに奥には、ちろちろと炎の玉が見え隠れしている。球状に凝縮されたその炎の色は赤ではなく、眩しいまでの白い輝きを放っており、尋常ならざる焦熱を宿らせているのに違いない。
つまり龍化の試練とは、龍王が放つ白色の炎に耐え抜き、そして打ち勝つことに他ならないのだった。そしてそれは、およそ並の龍人《ドゥローム》では到底、耐えうるものではないのだ。
かつて暗黒の神、冥王ザビュールがアリューザ・ガルドに降臨した折りに、イリリエンは龍達の先頭に立って“魔界《サビュラヘム》”に乗り込みザビュールと対峙したという。その時に龍王の放った炎は壮絶なまでの光輝に満ちあふれ、ザビュールその人にこそ威力が及ばなかったものの、冥王直属の最高位の魔族すなわち天魔《デトゥン・セッツァル》の幾人かを屠ったと言われている。
熾烈な炎が今まさに放たれようとしているのか――。
(……おれには敵いっこねえ!)
ミスティンキルは、自分が敗れ去ることを直感した。この暗黒の空間一帯が白一色の炎に覆われ、抗う時間すら与えられずに、自分の存在は跡形もなくなってしまう――死に至る情景がまざまざと脳裏に浮かび上がってくる。
そしてミスティンキルは悟った。
(だからなのか。ウィムリーフを先に行かせたっていうわけは……)
龍王の炎を浴びれば、自分のみならずウィムリーフまでが消え去る。それでは月の界へ行き、魔導の封印を解くという目的が果たせなくなってしまう。そしてそれは龍王の望むところではない。龍王は端から、ミスティンキルが試練に破れることを見越してウィムリーフを行かせたのだ。
(これで終いになるんだったなら、龍になるなどと思わなければよかった!)
ミスティンキルは絶望を覚えた。
(今のおれにとって、龍になることは高望みだったのか。そしてそのせいでおれは死んじまうっていうのか?! そんなのはいやだ、ウィム!! ……助けてくれ……)
【ならば、ぬしの願いは――龍化は果たせぬな】
龍王は口を閉じた。あたかも、ミスティンキルの痛切な心の叫びを聞き届けたかのように。
【ミスティンキルよ。お前自身は真の強さを持ち得ておらぬ。それではこの龍王の与える試練、つまり“蒼白たる輝焔”にはとうてい耐えられぬだろう。あの娘のことで心ここにあらぬ状態であれば、なおのことだ】
イリリエンはそう言って天を仰ぎ、鐘のような声を打ち鳴らして朗々と咆吼した。すると暗黒の天上からは月へと向かう門が再び姿を現した。
【ぬしが思い焦がれている“風の司”の娘に免じて、ぬしに戒めを与えるのはやめおこう。……風に護られし孤独の炎、赤のミスティンキルよ。月の界への扉をくぐれ。そこでぬしの相棒が待っている】
その時、ミスティンキルを縛りつけていた圧力がようやく解かれた。
「え……?」
予想だにしなかった龍王の言動だっただけに、ミスティンキルは戸惑った。訝しそうな表情を浮かべて龍王を見る。
「行っても……いいんですか?」
【今は、このイリリエンが龍化の試練を与える時ではない。先ほど言ったとおりな】
「真の強さとやらを、おれが持っていないから……? じゃあ、真の強さっていうのは?」
【それはぬしが、これから身をもって知るべきこと。私から答えを導き出すべきではない。……たしかに、魔力の強大さにのみ言及するのならば、ぬしの力は龍となるに十分値する。しかし、試練は先延ばしだ。これからのぬしに待ち受けているであろう運命をくぐり抜け、いずれぬしが強さを得たその時こそ、龍化は果たされよう】
それを聞いてミスティンキルは落胆したが、同時に安堵をも感じた。試練を受けることが出来なかったというのは悔しく、自分の至らなさには気落ちした。しかしそれにも勝る別の感情があったのだ。ほかでもない、ウィムリーフに再会できるという喜びだ。