落ちてきた将軍
司郎は、綾乃だって死んだ純一を、一番に愛しているのだろう?と言いたかったのだろう。綾乃は、そう理解した。それ以上の会話は無かった。
綾乃は荷物を纏めてマンションを飛び出し、市内にある実家に帰った。その後、幾度となく四郎が連絡をしてきたが、離婚届を突き出すと、捺印に応じた。
綾乃は再び泥沼に嵌った。がむしゃらに働いている時だけが、生きている実感を得る事が出来た。
綾乃は、ジャンバーのポケットに両手を突っ込み、参拝者の間をすり抜けるようにして参道を歩いた。
参拝から帰る同世代の女性達の笑顔が羨ましかった。仕事上、フラワーショップでは、笑顔を絶やさないように心がけている。心がけてはいるが、本当の笑顔ではない。無理をして作る笑顔には、苦痛がともなった。
家を出る前、ドレッサーに写る自分の顔を見て、何度も溜息をついた。目の下には、歌舞伎役者のように隈取りができていた。何のために生きているのだろうかと思う。そんな悲しい感情が湧き起こるたびに、自分に鞭を打つようにして重い腰を上げる日常が続いていた。
拝殿は、参拝者で一杯だった。綾乃は、うごめく参拝者の間を、こじ開けるようにしながら拝殿にたどり着いた。財布から小銭を取り出すと、賽銭箱目がけて放り投げた。賽銭は、箱の隅に当たり、カラカラと零れ落ち、白けた床の上でクルクルと回った。