落ちてきた将軍
「はっ・・・・・」
水野は未だ動かない。額を畳に擦り付けて、その蒼い匂いを嗅いでいた。もう一度呼ばれる。そして、畳の目を追いながら擦り足で近づき、再び平伏さなければならない。
「近こう・・・寄れ」
「ははっ!」
水野は腰を屈めたまま、畳の目を追った。畳十枚分を走り、そこで、再び平伏した。
「もっと・・・近う・・・寄れ」
「はははっ!」
忠邦は再び立ち上がると、先程と同じように畳の目を追った。今度は二〇枚分を走った。
三度、平伏す。この間、将軍の顔は見てはならない。
「水野・・・面を上げよ」
「ははっ」
将軍、家斉との謁見は久しぶりである。老中という幕府の要職であっても、将軍との謁見は、滅多にないことだ。水野は、両手を畳に貼り付けたまま、静かに顔を上げた。
「水野・・・城中が煩いのぉ」
「ははっ!」
「水野・・・我が跡継ぎ、家慶は何処へ消えたのじゃ」
「ははっ!・・・まことに申し訳ございません・・・この忠邦がついていながら・・・突如現れました龍に、連れ去られたかと・・・・」
「お前は、龍を見なかったのか?」
「ははっ!拙者は雷に打たれ、池の中へ放り込まれましてござります!・・・この責任、水野、切腹して・・・」
「馬鹿を言うでない・・・腹を切るくらいなら、一刻も早く、家慶を取り戻すのじゃ」
「はははっ!ありがたきお言葉・・・この水野、命を賭して、必ずや家慶様をお探しいたします!」
「水野・・・相手が伝説の龍では、手をこまねいてしまうであろう。蘭を連れて行け」
「・・・と、申されますと・・・くノ一」