落ちてきた将軍
さて、江戸城、本丸。一〇〇帖の大広間。上座に、絢爛豪華な衣を纏い、鎮座する将軍・徳川家斉。脇息に左肘をつき、右手には金の扇子。齢五七。
この時代では老人に入るが、未だ眼光鋭く、精気に満ちた風貌をしている。将軍職に五〇年も就いた男である。一六人の側室を持ち、子の数に至っては・・・話が飛びそうなので止めておこう。
ここで登場する家慶は、正室の子ではなく、側室「お楽の方」の次男である。(筆者は、ここで溜息をついた。)
退屈だろうが、水野忠邦について少しだけ述べておく。しかし、これは、あくまで作者の主観であることを知っておいて欲しい。
水野忠邦は策士である。というのは、忠邦は、もともと九州・唐津藩の藩主である。石高は二五万三〇〇〇石。詳細は欠伸がでるので書かないが、彼は、転封(今の時代で言えば転勤)を、幕府に願い出た。しかも、その行き先は浜松藩である。石高は十五万三〇〇〇石。一〇万石も少ない。
石高を落としてまでも転封を願い出たのには、忠邦の計算があったからである。捨てた唐津藩は、一部天領として没収された。天領は年貢(税)が重いのが通例で、忠邦に捨てられた唐津の民衆からは、それで嫌われてしまったようである。しかし、水野忠邦。その転封が江戸幕府に認められ、その功に対して「老中」という大抜擢を受けることになる。策士としか言いようが無い。
さて、本題に入ろう。大声を出さないと届かない距離に、水野忠邦が裃姿で、ひれ伏していた。
「水野・・・・・・・近こう寄れ」
遠すぎて、忠邦の耳には、蚊の羽音よりも小さく聞こえた。