落ちてきた将軍
第5章 消えた継承者
天保元年、正月三日。四ツ(午前十一時)過ぎ。江戸城は、ハチの巣をつついたような騒ぎになった。
晴れ渡る江戸上空に、俄かに湧き立った黒い雲。轟く雷鳴。そこかしこに、落ちる雷。吹き荒れる風と、横殴りの雨。突如、暗雲の中から現れた龍。晴れ着姿で華やいでいた大奥の女達は、悲鳴を上げながら、我先に逃げ惑った。
徳川幕府は、幕藩制度である。政治オンチの作者から見れば、今の政界の組織と、然程変わらないようにも見えるが、あらためて江戸幕府の組織図を見ると、その役職の多さに驚く。
将軍を筆頭に、大老、老中、御用人、若年寄、寺社奉行、京都所司代、大阪上代と大役が並び、その下に五〇〇余りの役職が、あみだクジのように並んでいる。役つきだけでも、これだけの数である。その家臣を含めれば、正月の三日とはいえ、相当数の役人達が・・・いや・・・侍達が、龍の出現を目撃したであろう。
この話の時代、将軍は、徳川家斉である。通常であれば、第一子が将軍職を継承する。しかし、不幸にも長兄の竹千代が早世したため、次期将軍職が家慶の前にぶら下がっていたのである。その、家慶が消えたのだ。転地転覆の如き事件であったに違いない。
おりしも、長年にわたっての平和ボケで、幕府は、磐石だった基盤が揺れ動いている。家臣の中には、龍の出現と跡継ぎ家慶の失踪は、江戸幕府の終焉だと嘯(うそぶ)く者も現れた。
こういう話には尾ひれがつく。龍は、戦国武将、上杉謙信の生まれかわりで、家慶を浚って行っただとか、本能寺で憤死した信長の祟りだとかである。そんな、ありとあらゆる噂が、冬の枯れた草原に火を放ったように、江戸城内を走り抜けた。すぐさま、箝口令が敷かれた。
江戸城の警護を行う百人番所、大番所が俄かに浮き足立った。因みに、江戸城は、百人番所の甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、そして、二五騎組が、昼夜交代で警備にあたっている。さらに、本丸に近い大番所では、与力、同心によって警備されていた。