落ちてきた将軍
想いを足すと言う事は、暖め、育むという事だ。綾乃の心の中で、着実に家慶への想いが育まれていった。
今、この段階で、綾乃に「家慶に恋したか?」と、問い正せば、口を尖らして否定する事はないだろう。少なくとも、平手打ちを喰らうことは無い。首をかしげ・・・「そうかもしれない」・・・そう、言うかもしれない。
綾乃は、ハンドルをゆっくりと回しながら、更に考えた。家慶は過去へ戻る人。過去で生き、そして、歴史に名を残す人物だ。自分と男女間の関わりを持つ事が無い事を、歴史そのものが証明している。全ては、目の前の現実が事実であり、また、真実であるはずだ。綾乃は、心の中で芽を出し、種の蓋を弾き飛ばした女心に、慌てて蓋をした。
「先輩・・・後ろの・・・」
「うん・・・」
「先輩のお知り合い?・・・どなた?」
「お殿様よ」
「お殿様?」
「そう・・・徳川12代将軍、徳川家慶様。紀ちゃんも学校で習ったでしょう?家康・・・秀忠・・・家光・・・次、誰だっけ?」
「家綱翁じゃ」
家慶が口を挟んできた。見て見ぬ振りだったのか・・・外の景色を嬉々として眺めながらも、耳だけは、車の内にあったようである。