落ちてきた将軍
綾乃は家慶が龍に連れて来られた際に「日の本の未来を見た」と言ったことを思い出した。
ひょっとしたら、家慶自身の未来も見たのかもしれない。だから、平然としていられるのだわ・・・とも思う。
ともあれ、この一大事に、自分のような人間が関わる事は奇跡以上にありえない話だ。
宇宙の果てでしか起きそうに無い現実と向かい合っている。綾乃は、そんな事を考えると、胸の中が熱くなる想いがした。
昨日、夜伽をしてくれと言われた時、常人の習性で、つい平手打ちをした。平手打ちの攻撃は、あっさりとかわされてしまったが、家慶からすれば、夜伽を頼む事など当たり前の事なのだろう。
見たところ、家慶は三〇代半ば。江戸には、妻がいて家族もあるに違いない。
将軍になれば、いや、いずれ将軍になると歴史が確約しているのだが・・・側室だって持つだろう。夜伽を・・・と言われて逆上した自分が可笑しくなり、研いだ米をすすぎながら、一人クスクスと笑った。
「何を笑っておるのだ?」
綾乃は、ひっ!と叫んで、振り向いた。
「あ、お殿様・・・今、お食事のご用意を・・・それに、お風呂の支度ができております。失礼かと思いましたが、亡くなった祖父ので宜しければ、お召し物をご用意いたしました」
「そうか・・・かたじけない。それにしても、今朝の綾乃殿は・・・」
「はっ?・・・何か?」
「うむ・・・女らしい」
「そうですか?嬉しいわ」
「・・・わ・・・か。まぁ、良い。では、町人の風呂というものを使わせて貰うぞ・・・いずこじゃ」
「ち・・・ちょうにん・・・お風呂はそっち。熱いかも知れないから気をつけてね」
「そっち・・・か・・・まぁ、良い」
家慶は渡されたタオルを掴むと、風呂場へと消えた。