落ちてきた将軍
第4章 北辰一刀流
北辰一刀流といえば、剣豪、千葉周作が創始した剣術であることで知られている。
正しくは古武道であるが、話が長くなるので、ここでは触れないでおく。
この話の時代。つまり、天保元年。千葉周作は江戸、日本橋の品川町に玄武館を創設し、既に一世を風靡していた。
周作には弟がいて、名は千葉定吉という。剣の腕において、定吉の名は兄の周作と同じくらい全国に知れ渡っていた。
テレビやネットが無い時代の話である。全国に知れ渡るというのがどれ程のものか、想像に難くない。定吉は、周作に劣らなかったと言われているが、それ程に周作の腕は凄かったのだろう。
兄、周作の玄武館が軌道に乗った頃、定吉は桶町に道場を構えた。今で言えば、起業、独立である。通称、桶町千葉道場。この道場に入門したのが、坂本龍馬である。龍馬は、長男の千葉重太郎とは、深く交流があり、娘のさな子とは婚約までしている。
龍馬はこの千葉道場で、薙刀の目録を受けている。恐らく免許皆伝も受けていたに違いない・・・と作者は考えている。
故人である千葉周作に憧れ、幕末の奇才、坂本龍馬を知り、地図にも載らない小さな島で、黙々と竹刀を振り始めた十歳の少年がいた。
少年は、毎日、竹刀を振り続けた。休んだ事は一日たりとも無い。少年は剣道部に入り、顧問の原先生(当時三段)からは強かに脳天を打ち込まれたが、練習から試合まで、同級生からは一本も取られた事がない。少年とは、作者本人である。余談が過ぎた。さて、北辰一刀流。
夜の明け切れない早朝から、庭先で物音がする。綾乃は眠い目を擦りながら、窓から庭を覗いた。
夢は醒めてはいなかった。薄暗い庭で、木切れを竹刀代わりにして黙々と振り続ける、ちょん髷姿のサムライがいた。
落ちてきた将軍・・・いや、未だ将軍にはなってはいないが、未来の将軍。話がややこしい・・・江戸幕府、十二代将軍、徳川家慶。