落ちてきた将軍
ザッ・・・ザッ・・・二人の間合いは、少しずつ縮まっていった。
時だけが流れていく。
晴れ渡っていた空が俄かに曇りだし、どこから湧いたのか、水に墨を落とした様に、もくもくと湧き出でた。
そよいでいた風は、次第に勢いを増し、雨粒が二人の剣を洗い出す。天には、分厚い鉛色の雲が、西の彼方から、龍が走るが如く流れていた。時折、雷鳴が鳴り響いた。
そんな風雲の変化にも動じることの無い二人のサムライは、互いの間合いを見切った。と、同時に玉砂利を蹴散らして、飛んだ。
「イザッ!」
「おうっ!」
閃光が走った。
稲妻が、追い込まれた龍のように松林を走る。
大木が、引き裂いたノシイカの様に飛び散った。
地響きが起こった。
最も高い老木が、落雷を受け止め、真っ二つに裂けた。
忠邦は、子供が噴出したスイカの種の様に飛ばされ、堀の中へ落ちた。
何が起きたのか、堀から這い上がった忠邦の目に、龍にでも引き裂かれたかの様な、松の老木の姿が飛び込んできた。その根っこの辺りに、名刀国光が静かに光を放って横たわっていた。
「・・・家慶様・・・・一体・・・何が・・・家慶様・・・何処です!家慶様ぁ〜!」
忠邦は、必死の形相で辺りを探し回った。しかし、家慶は忽然と姿を消したまま何処にも見当たらない。
水野忠邦。一昨年、老中となり幕府の重鎮となった男。忠邦は天を仰いだ。分厚い雲の奥で稲妻が横に走っている。
「・・・家慶様・・・龍にでも浚われてしまったのか・・・」
次期将軍、徳川家慶が江戸城から消えた。江戸城内は、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。