落ちてきた将軍
家慶は、懐から葵の紋が入った印籠を出してみせた。
「あっ・・・水戸黄門!」
「うむ・・・良く知っておるな・・・我が徳川家の印だ」
「初めて見た・・・綺麗」
「輪島で作らせた。見事な蒔絵であろう?」
「見せてもらっていい?・・・見せて頂いても宜しいでしょうか?家慶様」
「うむ・・・特別じゃ・・・ほれっ、しかと見るが良い」
綾乃は、家慶から印籠を受け取ると、まじまじと見つめた。なるほど、見事なまでの蒔絵細工である。とても、偽物とは思えない。綾乃は、家慶には半信半疑を拭い去れなかったが、自分の目で見た龍と、手の中にある印籠は本物だと思った。
「本物でございますね」
「無礼な・・・そうか・・・綾乃殿は見たものを信じたのじゃな。龍と、この印籠・・・そうであろう」
「だって・・・・」
「まぁよい・・・じきにワシの事も信ずるであろう・・・案内するか?」
「仕方ないですね・・・放っておくわけにもいかないし・・・言っておきますが・・・私は独り身・・・」
「ワシは武士じゃ」
「その、お言葉を信じて宜しいですか?」
「武士に・・・二言は無いと心得よ」
「では、ご案内いたします」
「うむ。案内いたせ」
「凄くムカつきますが・・・こちらでございます」
二人は楠の大木を後にした。
綾乃は歩きながら大木を仰ぎ見た。雷が落ちたはずなのに、雷で焼かれた後がない。
綾乃は並んで歩く家慶を仰ぎ見た。それ程、大柄では無いが、その歩き方には威風堂々たるものが感じられる。小柄な綾乃には、とても大きな男に見えた。
西の空に陽が傾いている。赤く照らされた額。真っ直ぐに向けられた瞳には、嘘が無いように感じた。ただ、女の直感である。その直感で生きてきて、悲惨な今があるのだ。綾乃は、ふんっ・・・と前を見ると、自宅へ向かい足を速めた。