落ちてきた将軍
第12章 春
梅が香る春になった。
江戸城内。天には雲ひとつ無い。千本梅と名づけられたその場所に、タスキをかけた女集団が屯していた。
御前試合。と言っても、今で言えばレクリェーションのようなものだ。大奥の女共が集まり、家慶の前で薙刀の披露をする。毎年恒例の春の行事が開催されていた。床机に腰を下ろす家慶。その後ろには水野忠邦が控えていた。
「どっちが強いかのぉ・・・忠邦」
「ははっ・・・それは、蘭でございましょう」
「はたして、そうかな?・・・勝負は判らんぞ・・・ハハハ・・・・どうじゃ、忠邦・・・わしの指料である国光とそちの宗政をかけてみるか?」
「それは、それは・・・むざむざと、名刀を捨てなさいますか?」
「ハハハ・・・では、ワシが勝てば、宗政を頂くぞ」
「殿・・・名刀国光・・・この水野家の家宝がまた増えます。ありがたく頂戴つかまつります。」
「ハハハ・・・試合が楽しみじゃ」
白い玉砂利が敷き詰められた、広大な庭。春の装い艶やかに、二千人近くの女たちが、今から始まろうとしている試合を、固唾を飲んで見守っている。蘭は忍びの仕事から解放され、女でありながらも化粧料として一千石の扶持を貰う身分になっていた。品川に屋敷を貰い、その暮らしを約束されていた。もちろん、家慶の計らいである。
「どれ・・・そろそろ、始まりそうじゃ・・・」