落ちてきた将軍
目の前の室見川には三角波が立ち、あたかも荒れ狂った外海のようだった。飛沫が風に乗って飛んでくる。ここは河口で、室見川の水は博多湾へと流れている。綾乃の頬を洗う水は、ほんのり潮の味がした。
綾乃は、楠の大木にしがみつく様にして、様子を窺った。真っ黒な雲の中が明滅する時に、何やら、蠢く巨大な影が見える。それは、光が放たれる度に、右へ、そして、左へと移動していた。
「何・・・あれは・・・雲の中に、何かいるわ・・・私、夢を見ているの?」
室見川の対岸では、嵐から逃れようと、走り去る人が幾人か見えた。雲を見上げる人はいない。皆、一目散に逃げ走っていた。風が、一層激しくなった。綾乃は楠の大木にしがみついた。そうでもしなければ、小柄な綾乃の体は、風に押されて室見川に落ちそうだった。
雲の中がまた明滅した。今度は長い間、閃光を放った。閃光に照らされて、くっきりと、その蠢きが姿を現した。綾乃は、目を細めてその姿を見つめた。
龍。
寓話の世界でしか知らない龍の姿が、そこにあった。綾乃は、唖然とした。
今度は、目をカッと見開いて、その龍を見つめた。龍は長い胴体をうねらせながら、雲の隙間から、鱗を煌かせて出たり入ったりしている。
胸の辺りから伸びる太い足。その先には黒くて鋭い爪がはっきりと見える。巨大な頭部には、天を突くような金色の角が一対。鰐のように開いた口には、鋭い歯が無数に生え揃っていた。とてつもなく長い髭が、大蛇のように撓りながら空を切っていた。赤っぽく金色に光を放つ一対の眼は、何よりも怖ろしく感じた。